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大正時代の政府の報告書 「死刑執行の方法に就て」

1921年(大正10年)に設置された行刑制度調査委員会に提出された「死刑執行ノ方法ニ就テ」と題する報告書の現代語訳とその原文(ただし片仮名を平仮名に改めるなどの表記の修正を行なっている)を示します。この報告書を執筆したのは、当時、東京監獄の典獄(現在の所長に相当)で、同委員会の委員でもあった野口謹造です。この報告書は、当時、司法省監獄局長であった山岡萬之助の関係文書の中にあったもので、現在、法務図書館でマイクロフィルムの形で公開されています。ここで提供するのは、それをワープロ打ちしたものです。

提出証拠 野口レポート<現代語訳>(120823)

《現代語訳引用開始》

法務図書館所蔵 山岡萬之助関係文書 E-214

死刑執行の方法について

野口委員

死刑執行の方法について

目次

1 緒言

2 電気(またはガス)死刑の可否

3 毒薬を用いた死刑の可否

4 絞首刑を適当とする理由

死刑執行の方法について

委員 野口謹造

1 緒言

現在、世界各国で行われている死刑執行の方法は、これを系統的に大別すると下記の通りである。

密行主義            絞殺

死刑                         斬殺

公開主義           銃殺

電殺

昔、死刑の執行は報復と威嚇を目的としていたので、おおむね公開主義を採っていた。その方法は多岐にわたり、しかも残忍性があるものが多かったが、世の中の進歩と刑罰主義の変化に伴って、次第に密行主義に移り、その方法もまた2、3の方式にまとまってきた。現在、文明諸国で公開主義を支持しているのはフランス・デンマーク・南米の一部にとどまり、その他は、大国から小国に至るまで、ほとんど監獄内で密行主義の下に死刑を執行することとなっている。

絞殺 絞殺は我が国を始めとし、イギリス・オーストリア・スペイン・米国の大部分・カナダ・中国等で行われている。我が国の歴史を調査すると、大化5年3月蘇我臣の事件に連座して絞殺された者9人と日本書紀に記されているのは、我が国での絞首刑の始まりということができる。

斬殺 斬殺はフランスを始めとし、スイス・ドイツ・ロシア等で行われている。我が国でも中世以来死刑は絞殺・斬殺の2種類に分かれていたが、明治維新以降、新律綱領、改定律令を経て、旧刑法になって、斬殺を全く廃止した。

銃殺 銃殺は比較的新しい方法である。ドイツと我が国では軍人にこれを適用している。中米・南米の諸国つまりチリ・ペルー・モンテネグロ<注 同国はヨーロッパの国である>・コロンビアその他の小国の多くでは公開の場で銃殺を執行している。

電殺 電殺は、最も新しい方法で、米ニューヨーク州で1889年1月から執行されることになった。同州の刑事訴訟法によれば、「死刑は、死刑に処せられる者の身体に、死に至らしめるに足る電流を死に至るまで流す方法によって執行すべきものとする」と規定している。しかし、1901年合衆国刑法の草案を起草した委員会はこの新方法の価値を認めず、電殺はあまりに実用的に原因を置いているので、長く続ける性質のものではない、と言っている。

2 電気(またはガス)死刑の可否

ニューヨーク州で電気死刑の考案をすることになった理由は、現在世界の文明国の大多数で行われている死刑の方法である絞殺で、死因が死に顔を醜くし、苦痛を与える時間が長いという点にあった。最初シンシン監獄内で試した電気死刑の方法は、死刑囚の身体を革紐を用いて電気椅子に縛り、死刑囚に電帽をかぶらせて、その身体に一気に3000ボルトの電流を流すというものだった。しかし、この高圧電流を受けた死刑囚がなかなか絶息しないのが不審であった。検査して電帽が死刑囚の頭に密着していないことが分かり、直に密着させたが絶息までに12分間かかった。12分間と言えば、絞殺の苦痛と大差ない長時間であるとして、電気死刑の失敗を言い立てて、絞殺よりもかえって残酷であるとの非難が米国の人道主義者の間で起こった。シンシン監獄ではその後さらに研究を積んで電気死刑の方法に改良を加え、今日では、死刑囚は電流を受けた瞬間に早くも心臓の鼓動を止め、長くとも2分間で絶息することを確かめたという。しかも、何事にも新規を好む米国では、電気死刑によって理想の域に達したものと認められていない。死刑囚がその言い渡しを受けた時から処刑に至るまでの間での煩悶は処刑の苦痛にも勝るものであろうとして、この煩悶を取り除く方法としてネブラスカ州議会ではガス死刑の提案が行われたと聞いている。提案者の考案によると、死刑囚を特設の密室に監禁して、執行の時期が来たらその言い渡しをしないで睡眠中に多量のガスを密室に注入し、窒息死に至らせるという設備であるが、これには主義上の反対がある。すでに特設の密室に監禁すること自体が、遅かれ早かれ来る死の不安を自覚させるものなので、たとえ死刑を執行する時に言い渡しをしなくとも、絶えることのない煩悶を免れることがないため、他の執行方法と大差があるということはない。ガス死刑が主眼とする執行の言い渡しをしないで処刑する方法は、刑罰の執行方法として果たして合理的だろうか。このような闇討に等しい処刑は、少なくとも我が国の国民性の要求に反するものである。処刑の苦痛を減ずる手段を研究するのは人道上必要であるが、いたずらにうわべの観察をして満足すべきではない。もし、死刑囚に宗教上の悟りを完全に持たせることができれば、彼らにゆったりと落ちついて死んでいく覚悟をさせることができるだろう。この場合においては、死の苦痛はおそらく小さな問題となるだろう。

また、電気死刑に対する非難は緒言にも述べたように、あまりに実用的で人間味に乏しく、執行の状況を想像すると、人を生きたまま火葬にする気持ちになる。「せめて人間らしい者の手にかかって死にたい」とは古武士の述懐で、斬殺に代えて絞殺にしたのは、情ある刑罰法を目的としたからである。理想論としては、死刑は元々これを廃止すべきである。しかしそれでも死刑を残しているのは、国民精神の抑え難い要求であるためである。

この要求のある限り、その執行方法においても、また国民性の要求を省みることを正当とすべきである。あの世界文化の中心であるフランスでギロチン(断頭台)を残し、自由博愛主義のアメリカで黒人奴隷に対してリンチ(私刑)を廃止しないのは不思議な事であるが、これもみな国民性の要求にして止むを得ないためであると考えることができる。

3 毒薬を用いた死刑の可否

死刑執行方法の改良の意見として、世間の人が希望する所は、苦痛なく短時間に死んで、死後の遺体が傷つかず、その執行方法が簡単で、安全な事である。今、化学薬品による急性死の状態を調査したが、以上の希望に添うような研究や業績はなく、全ての薬品が死亡の際の苦痛を免れない。速やかな死または即死(青酸)の場合においても、最近の実験者の言葉によると、死ぬ時の状況がむごたらしいだけでなく、個人によって死ぬまでの時間や病状に大差がある。あるいは確実に死なないこともあるという。ガス死刑を見ると、ガスによる中毒は一般に窒息死である。死後死体の検案をするためには、まず室内のガスを中和無毒とし、なお送風装置によって新鮮な空気と交換し、危険が全くなくなったことを確かめた後でなければ検案を行うことはできない。これには相当の設備と相当の時間が必要である。古くギリシャでは毒薬死刑を執行していた。ソクラテスはコニウム<注 毒ニンジン>という毒物を使ったというが、その方法は詳しくは分からない。化学薬品の中で、青酸ガスのようなものは、これを嗅ぐ時は数秒で死ぬだろう。このガスを発見した学者はその臭気を知ると共に死んだと伝えられている。このように薬品は取扱いがはなはだ不安全で到底死刑執行の目的として使用するのに適さないものである。

4 絞首刑を適当とする理由

以上の説く所により、いわゆる文明国は死刑存置国であり、フランスの斬首、アメリカ合衆国の数州での電殺を除き、他の文明国が事実上又は法律上、絞首刑を行っていることは注目すべき点である。本員の調査した所によれば、米国ニューヨーク州では電気死刑の方法を研究する為に約100万円を費やした。今、仮に電気死刑を我が国で試みるとすれば、少なくとも1監獄あたり費用5000円が必要で、かつ電力供給料金として1ヶ月20円内外を支払わざるを得ない。もし他からその時々の電力の供給を受けるのではなく、監獄で発電機または蓄電器を設置することとすれば、さらに多額の設備費と人件費を要する。経費の問題は別にしても、電殺が我が国の国情に適していないことは前段で説明しつくした。その他の方法に至っては、さらにこれ以上論ずる必要はない。要するに絞殺は他の死刑執行方法に比較して最も簡単明瞭で苦痛が少なく、執行の安全だけでなく、立法例に照らし、また歴史上の沿革を考えると、将来絞殺を維持する理由はあるが、これを排斥する理由を見つけることはできない。絞殺の欠点として非難される点は、それを執行された状態、つまり首を吊られた格好が醜いという位で、世俗に伝わるように体の局部が汚れるような状況になるものではない。医学上から見た縊首は、頸部にロープを巻いて身体を吊り下げる時に気道を圧迫して呼吸を止め、その窒息させる作用がある。同時に頸動脈その他頸部神経の圧迫によって血行を止め、直に強度の脳貧血を起こし、人事不省に陥る状態である。絞首がいかに容易であるかは論より証拠、自殺者の例を見て明らかである。自殺を覚悟してもいざ死ぬ前にはかなりの苦痛を忍ばざるを得ない。その苦痛に耐えかねたり、あるいは投身して岸に泳ぎ着く者があり、あるいは線路に身を横たえて列車の響きに驚いて逃出す者がいるが、縊死を企ててそれを中止した例を聞いたことがない。

本員が死刑の執行を実際に見たところでは、着手から終了に至るまでの時間は12分ないし15、6分である。これは脈搏の全く停止するまでの時間であるけれども、刑場では死刑囚が立った足元の床板が落ち、ロープに首を支えられた身体が宙吊りになると同時に死刑囚は人事不省になるので、苦痛の自覚は全く無いだろう。ただ、他人から見て悲哀を感じるのは、身体の一部にしばらくけいれんを見ることである。この状態を見ないように、刑場正面の床下に黒幕を引いて、幕の内部に身体が落下するよう、多少の設備を改めれば良い。

なお、死刑執行の命令は、典獄<注 所長>から死刑囚の精神状態に関して詳細な視察報告を司法大臣にした後で、必要な考慮を行ってこれを命令されるのであるから、現行の制度は適当な死刑執行方法であるとして、これを是認するのに躊躇しない。

《現代語訳引用終了》

提出証拠 野口レポート<原文・新仮名遣い>(120823)

《原文引用開始》

法務図書館所蔵 山岡萬之助関係文書 E-214

死刑執行の方法に就て

野口委員

死刑執行の方法に就て

目次

1 緒言

2 電気(又は瓦斯)死刑の可否

3 毒薬を以ってする死刑の可否

4 絞首刑を適当とする理由

死刑執行の方法に就て

委員 野口謹造

1.緒言

現今、世界各国に行わるる死刑執行の方法は、之を系統的に大別すれば左の如し。

密行主義              絞殺

死刑                           斬殺

公開主義              銃殺

電殺

往昔、死刑の執行は報復及び威嚇を目的としたるを以って、概ね公開主義を採り、其の態様多岐に亘り、且つ著しく残忍性を帯びるもの多かりしも、世運の進歩と刑罰主義の変遷に伴い漸次密行主義に移り、其の態様も亦2、3の形式に帰着せんとす。現今、文明諸国に於て公開主義を支持せるは仏蘭西<フランス>、丁抹<デンマーク>及び南米の一部に止まり、其の他の列強小国に至るまで殆んど監獄内に於て密行主義の下に死刑の執行を為すこととなれり。

絞殺 絞殺は我が国を初めとし英吉利<イギリス>、墺太利<オーストリア>、西班牙<スペイン>、北米合衆国の大部分、加奈陀<カナダ>、支那等に行わる。国史を按ずるに大化5年3月蘇我臣の件に坐し被絞者9人と日本書紀に記されたるは我が国に於ける絞殺刑の嚆矢と謂うべし。

斬殺 斬殺は仏蘭西<フランス>を初めとし、瑞西<スイス>、独逸<ドイツ>、露西亜<ロシア>等に行われ、我が国に於ても中世以来、死刑は絞殺の2種に分れたりしも、維新以降、新律綱領、改定律令を経て、旧刑法に至り、全く之を廃せり。

銃殺 銃殺は比較的新しき方法にして、独逸<ドイツ>及び我が国に於ては軍人に之を適用し、中米、南米の諸邦即ち智利<チリ>、秘魯<ペルー>、黒山国<モンテネグロ>、コロンビア其の他の小邦に於ては多くは公開の場所に於て之を執行せり。

電殺 電殺は最も新しい方法にして北米合衆国紐育<ニューヨーク>州に於ては1889年1月より執行されるに至れり。同州刑事訴訟法に依れば「死刑は死刑に処せられたる者の身体に死に至らしむるに足る電流を通じ、且つ死に至る迄電流を送る方法を以て之を執行すべきものとす」と規定せり。然るに1901年合衆国刑法草案を起草したる委員会は此の新方法の価値を排斥し、電殺は余りに実用的に原因を置きたれば永続せらるべき性質のものに非ずと言えり。

2 電気(又は瓦斯)死刑の可否

紐育<ニューヨーク>州に於て電気死刑の考案を為すに至りたる理由は、目下世界文明国の大多数に行わるる死刑執行の方法たる絞殺は死因が死相を醜くし、且つ苦痛を与うる時間長しと云うに在りしが、最初「シンシン」監獄内に於て試したる電気死刑の方法は、死刑囚の身体を革紐を持って電気椅子に縛し、之に電帽を冠らしめ、其の身体に向け、一気に3000「ボォルト」の電流を通したるに、此の高圧電流を受けたる死刑囚は容易に絶息せざるに不審を生じ、検査せしに電帽の頭部に密着せざりしことを発見し、直に密着せしめたるも絶息までに12分間を要したり。12分間と云えば絞殺の苦痛と大差なき長時間なりとて電気死刑の失敗を鳴らし、絞殺よりも却て惨酷なりとの非難米国人道主義者の間に起こり、「シンシン」監獄にては其の後更に研究を積みて電気死刑の方法に改良を加え、今日に於ては、死刑囚は電流を受けたる瞬間に早くも心臓の鼓動を止め、長くも2分間にて絶息することを確かめたりと云う。而も何事にても新規を好む米国に於ては電気死刑を以て未だ理想の域に達したるものと認めず。死刑囚が其の言い渡を受けたる時より処刑に至る迄の間に於ける煩悶は処刑の苦痛にも勝るものあらん、此の煩悶苦痛を除去する方法として「ネブラスカ」州議会に瓦斯死刑の建議現れたりと聞く。建議者の考案に依れば、死刑囚を特設の密室に監禁し、執行の期至らば其の言い渡を為さずして睡眠中多量の瓦斯を密室に注入し、窒息死に至らしむと言う装置なるが如きも、之には主義上の反対あり。既に特設の密室に監禁すること自体は早晩到来すべき死の不安を覚知せしむるものにて、縦令<たとえ>、執行時の言渡を為すことなくても不断の煩悶を免れざれば他の執行方法と大差あることなし。瓦斯処刑の主眼とする執行の言渡を為すこと無くして処刑するの方法は、刑罰の執行手段として果たして合理的なりや。斯かる闇打に均しき処刑は少なくとも我が国民性の要求に悖<もと>るものとす。処刑の苦痛を減ずるの手段を講究するは人道上必要なるべきも、徒<いたずら>に皮相の観察を以て満足するべきにあらず。若し死刑囚をして心霊上大悟徹底せしむる所あらしめんか。彼等をして従容死に就くの覚悟を為さしむることを得べし。此の場合に於ては死の苦痛の如きは蓋<けだ>し小なる問題となるべし。

又電気死刑に対する非難は緒言に述べたる如く、余りに実用的にして人間味に乏しく、執行の状況を想像するに人を生きながら火葬に付するの感あり。「切<せ>めては人らしき者の手に罹りて死なばや」とは古武士の述懐にて、斬殺に代うるに絞殺を以てせしは、情ある刑罰法たるを侯<こう>す。理想論としては死刑固より之を廃止すべし。而も尚之を存するは死刑は国民的精神の抑え難き要求なるが故なり。

此の要求の存する限り其の執行方法に於ても亦国民性の要求を省るを正当となすべし。彼の世界文化の中心たる仏蘭西<フランス>に於て「ギロチン」(断頭台)を存し、自由博愛主義の亜米利加<アメリカ>に於て黒奴に対し「リンチ」(私刑)を廃せざるは不可思議なるも、是皆国民性の要求にして止むを得ざるに出ずるものと思惟せらる。

3.毒薬を以てする死刑の可否

死刑執行方法の改良の意見として世人の希望する所は苦痛なく短時間に死し、死後の姿を損せず、其の執行方法の簡便にして安全なることなり。今、化学薬品に因る急性死の状態を調査するに、以上の希望に副うべき研究業績なく、総て死時の苦悶を免れず。速死又は即死(青酸)の場合に於ても最近実験者の言に拠れば、死状惨なるのみならず、個人に拠り死に至る時間及び病状に大差あり。或は確実に致死せざることありと謂う。瓦斯死刑に付て之を見るに、瓦斯に因る中毒死は一般に窒息死にして、死後死体の検案を為すには先ず室内の瓦斯を中和無毒とし、尚お送風装置に依り新鮮なる空気と交換し、危険全く去りたることを確かめたる後にあらざれば、検案を遂ぐる能はず。之には相当の設備と相当の時間を要すべし。古昔希臘<ギリシャ>には毒薬死刑を執行しコニウム、ソクラテスは此刑に処せられたりと云うも其の方法を詳<つまびらか>にせず、化学品中青酸瓦斯の如きは之を能く嗅ぐときは数秒にして死すべし。該瓦斯を発見したる学者は其の臭気を知ると共に死せりと伝えらる。斯に薬品は取扱に甚だ不安全にして到底死刑執行の目的として使用するに適せざるものなり。

4.絞首刑を適当とする理由

以上の説く所に依り所詮文明国は死刑存置国にして、仏蘭西<フランス>の斬首、米北合衆国の数州に於ける電殺を除きては他の文明国は事実上又は法律上絞首刑を施行しつつあるは特に注目すべき点とす。本員の調査したる所に依れば、米国紐育<ニューヨーク>州に於ては電気死刑法研究の為に約100万円を費したり。今仮に之を我が国に試みんとせば、少なくとも1監獄の設備費5000円を要し、且つ電力供給料金として1箇月20円内外を支払はざるべからず。若し他より時々電力の供給を受けることとせば、更に多額の設備費と人件費を要す。経費の問題は之を別とするも電殺の我が国情に適せざることは前段の説明に於て之を盡せり。其の他の方法に至りては更にこれを論ずる必要無し。要するに絞殺は他の死刑執行方法に比し、最も簡明にして苦痛少なく執行の安全のみならず、之を立法例に照し、又は歴史上の沿革に考え、将来に維持するの理由を認むるも、之を排斥するの理由を発見せず、絞殺の欠点として非難する所は其の執行せられたる状態、即ち首の吊り下がりたる恰好が醜くしと云う位にて、世俗に伝うるが如く身体の局部に汚辱の有様を呈するものに非ず。医学上より見たる縊首は頸部に索条を巻き身体を懸垂する時は気道を圧迫して呼吸を止め、以て窒息せしむるの作用にて同時に頸動脈其の他頸部神経の圧迫に因り血行を杜絶し、直に強度の脳貧血を起こし、人事不省に陥いるの状態に在り、縊首の如何に容易なるかは論より証拠、之を自殺者に徴して明白なり。自殺を覚悟しても扨<さ>て死ぬ前には可なり苦痛を忍ばざるべからず。其の苦痛に堪え兼ね、或は投身して岸に泳ぎ着き、或は鉄路に身を横えて列車の響に驚きて逃出したる者あれど縊死を企てて之を中止したる例を聞かざるなり。

本員が死刑執行の実験に依れば、着手時より終了に至る迄の時間は12分乃至15,6分間なり。これは脈搏の全く停止するに至る迄の時間なれども刑場に於ては死刑囚の立てる足下の床板が落下し絞索に首を支えられたる身体が宙釣りになると殆ど同時に人事不省に陥るが故に何等苦痛の自覚無かるべし。唯、客観的に悲哀を催すは身体の一部に暫時痙攣<けいれん>を目撃することなり。此の状態を目撃せしめざる為に刑場正面床下に黒幕を引き幕の内部に身体の落下する様、多少其の装置を改むれば可なり。

尚お死刑執行の命令は典獄より死刑囚の精神状態に関し詳細なる視察報告を司法大臣に為したる後に於て、相当の考慮を以て之を命令せらるるに於ては、現行制度は適当なる死刑執行法として之を是認するに躊躇せざるなり。

《原文引用終了》

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