Home > 裁判資料 > 絞首刑に関する裁判員裁判の控訴審判決(2013年7月31日大阪高裁判決)

絞首刑に関する裁判員裁判の控訴審判決(2013年7月31日大阪高裁判決)

絞首刑が残虐な刑罰か否かが争われた初の裁判員裁判で、2011年10月31日に大阪地方裁判所は、絞首刑は残虐な刑罰ではないという判決を出しました。それに対して弁護側は控訴し、2013年7月31日に大阪高等裁判所は控訴棄却の判決を出しました。判決は、改めて絞首刑は残虐な刑罰ではないと認めましたが、「死刑の執行方法について、今もなお」「明治6年太政官布告に依拠し、新たな法整備をしないまま放置し続けていることは、立法政策として望ましいものではない」とも述べました。以下は、その判決の絞首刑の合憲性に関する部分の抜粋です。

《引用開始》

第3 控訴趣意中、法令適用の誤り(憲法違反)の点について

論旨は、(1)原判決は,絞首刑は憲法に違反するものではないと判示しているが、刑法が死刑の執行方法として採用している絞首刑は、受刑者に不必要な苦痛や身体の損傷を与える可能性があり、見る者にむごたらしいと感じさせずにいられないものであるから、憲法36条が絶対的に禁止する「残虐な刑罰」に当たる(2)死刑の執行方法は、法律事項であるが、我が国の立法機関は明治6年太政官布告第65号(以下「明治6年太政官布告」という。)の制定後、今日に至るまで死刑の執行方法に関する法律を制定しておらず、この立法不作為は、憲法31条に違反する、というのである。

しかしながら、我が国の死刑制度がその執行方法を含め憲法に違反しないことは、最高裁判所の判例(最高裁昭和23年3月12日大法廷判決・刑集2巻3号191頁、最高裁昭和30年4月6日大法廷判決・刑集9巻4号663頁、最高裁昭和36年7月19日大法廷判決・刑集15巻7号1 1 0 6頁)とするところであるから、論旨は理由がない。所論に鑑み、付言する。

1 上記昭和23年最高裁判決は、「刑罰としての死刑そのものが、一般に直ちに同条(憲法36条)にいわゆる残虐な刑罰に該当するとは考えられない」と判示して、死刑はそのことをもって直ちに憲法36条が絶対的に禁止する「残虐な刑罰」に当たるとはいえないとした上で、「ただ死刑といえども、他の刑罰の場合におけると同様に、その執行の方法等がその時代と環境とにおいて人道上の見地から一般に残虐性を有するものと認められる場合には、勿論これを残虐な刑罰といわねばならぬから、将来若し死刑について火あぶり、はりつけ、さらし首、釜ゆで刑のごとき残虐な執行方法を定める法律が制定されたとするならば、その法律こそは、まさに憲法36条に違反するものというべきである。」と説示することにより、死刑の執行方法が残虐性を有するものと認められる場合には、「残虐な刑罰」に当たることを明らかにするとともに、「残虐な刑罰」に当たる執行方法として、「火あぶり、はりつけ、さらし首、釜ゆで刑」を例示しているところ、これらの死刑の執行方法と比較して、刑法11条1項が規定する絞首刑が、死刑の執行に伴い不必要な精神的、肉体的苦痛を与えることを目的としたものでないことは明らかである。

さらに、上記昭和30年最高裁判決は、「現在各国において採用している死刑執行方法は、絞殺、斬殺、銃殺、電気殺、瓦斯殺等であるが、これらの比較考量において一長一短の批判があるけれども、現在我が国の採用している絞首方法が他の方法に比して特に人道上残虐であるとする理由は認められない。」と判示しており、その後今日に至るまで、我が国における絞首刑の執行方法に変更は加えられていないから、現在我が国の採用している方法による絞首刑についても、憲法36条にいう「残虐な刑罰」に当たらないと判示したものといえる。

もっとも、上記昭和23年最高裁判決は、前記のように、「ただ死刑といえども、他の刑罰の場合におけると同様に,その執行の方法等がその時代と環境とにおいて人道上の見地から一般に残虐性を有するものと認められる場合には、勿論これを残虐な刑罰といわねばなら」ないと説示するとおり、現在の刑法が死刑の執行方法として規定する絞首刑について、合憲性判断の基礎となる事実、いわゆる立法事実に重大な変化が生じた場合には、不必要な精神的、肉体的苦痛を伴うものとして人道上残酷な刑罰と認められる状況になることもあり得ないわけではないが、弁護人から提出された証拠や主張を踏まえて検討しても、そのような立法事実の重大な変化があったとまでは認められない。

2 この点に関し、弁護人は、我が国で行われている絞首刑は、医学的見地から見て、死刑囚本人に不必要な苦痛及び身体損傷を生じさせ、一般人の心情においてむごだらしさがあるから、憲法36条が絶対的に禁止する「残虐な刑罰」に当たると主張する。

(1)そして、オーストリア共和国のインスブルック医科大学法医学研究所に所属する法医学者であるヴァルテル・ラブルの原審公判証言によれば、絞首刑により受刑者が死亡に至る経過として、次の事実が認められる。

ア 日本における絞首刑の執行方法は、受刑者が高いところから長い距離を落下するというロングドロップ式である。

イ 絞首刑における死因は、①頸動静脈の圧迫により、脳への血流が閉塞されて酸欠状態になり、脳に重大な損傷が生じて脳死が起こり、心臓が停止して死亡する、②喉の咽頭の閉塞により窒息状態になり、同様の経過で死亡する、③頸部に掛かる力が大きい場合に生じる頭部離脱、④脊椎骨の骨折により延髄の損傷が生じ、全身のまひや呼吸困難により脳死が起こり、心臓が停止して死亡する、⑤迷走神経損傷によって起きる急性の心停止により脳が死滅する、という五つの場合に分類される。典型的な死因として多くみられるのは、①の頸動静脈の閉塞と②気道閉塞であり、両者は競合することもあり得る。③の頭部離脱は、頸部に過大な力が掛かった場合に生じる。④の延髄損傷や⑤の迷走神経損傷の例は、非常にまれである。

ウ ①の頸動静脈の閉塞の場合、頸動静脈が完全に圧迫されると、5秒から8秒くらいで意識が消失するが、その間、頸部の損傷等により苦痛を感じる。そして、3分後くらいから脳の重大な損傷が起き、5分後くらいに死亡に至る。

頸動静脈が完全に圧迫されるには、絞首のロープの結び目が首の真後ろに来て、ロープが左右対称に掛からなければならず、片方に偏っているときには、脳への血流が完全に遮断されず、意識を失うまでの時間が格段に長くなり、その間、苦痛が続くことになる。

また、②の気道閉塞の場合には、1、2分くらいで意識が消失し、5分後くらいに死亡するが、意識のある間は、頸部損傷等による苦痛を感じる。

工 身体の損傷については、頸部の皮膚、筋肉等の損傷、脊椎の骨折等のほか、内部離脱等の重大な損傷が生じることもあり得る。

(2)なお、我が国の法医学者である古畑種基作成の昭和27年10月27日付け鑑定書は、「頸部に索条をかけて、体重をもって懸垂すると(縊死)、その体重が20キログラムあるときは、左右頸頸脈と両椎骨動脈を完全に圧塞することができ、体重が頸部に作用した瞬間に人事不省に陥り、全く意識を失う。それ故定型的縊死は最も苦痛のない安楽な死に方であるということは、法医学上の常識になっているのである。」、「絞殺が最も理想的に行われるならば、屍体に損傷を生ぜしめず、且つ死刑囚に苦痛を与えることがなく(精神的苦痛を除く)且つ死後残虐感を残さない点に於て他の方法に優っているものと思う。」という意見を述べている(原審弁第60号証)。

(3)以上の事実及び意見を踏まえれば、絞首刑においては、刑の執行後、受刑者の頸動静脈が完全に圧迫されて閉塞されるとともに、頭部離脱等の重大な身体損傷が生じないように、絞縄の長さや結び目の位置の調節などの手順が適切になされた場合には、受刑者は、死刑の執行開始から意識を消失するまでの間に,一定程度の精神的、肉体的苦痛を感じることは避け難いとしても、その時間は比較的短時間にとどまり、頭部離脱等の重大な身体損傷は生じないものと考えられるから、刑の執行方法として、残虐と評価できるほどに、受刑者に不必要な精神的、肉体的苦痛を与え、あるいは、重大な身体損傷を生じさせる危険性が高い執行方法であるということはできない。

弁護人は、諸外国や我が国における絞首刑の執行状況に関する報告例等に基づき、アメリカ合衆国の各州において今日一般的に用いられる薬物注射と比較して、絞首刑の執行では、絞縄の長さの調節などを誤った場合等に頭部離脱や緩徐な死が発生することがあり得ることや、多くの場合に意識喪失までに一定の時間を要して受刑者に苦痛を感じ続けさせる可能性があるなどと主張する。そして確かに、絞首刑においても、事前に予測できない要因などによって例外的な経過が生じることを完全に防止することが困難であることは、所論指摘のとおりであるが、当審における事実取調べの結果(検第5号証、第6号証)により認められるとおり、薬物注射など他の死刑の執行方法においても、同様の問題は生じ得るのであり、そのような例外的な事例があるからといって、現在我が国で執行されている絞首刑という執行方法が、それ自体、受刑者に不必要な精神的、肉体的苦痛を与えることを内容とするものとして、人道上も残虐と認められる刑罰であるということはできない。

また、弁護人は、当審弁第6号証の「GHQ文書が語る日本の死刑執行」という書籍によれば、GHQの資料にある絞首刑の執行例によると、絞首して死亡させるために要する時間が最も短いものでも10分55秒、最も長いものでは21分00秒とされており、これだけの開きがあること自体、絞首刑を「最も理想的に行う」ことが不可能であることを示している、さらに、死刑囚に苦痛を与える度合いが異なり得ること、その間、むごだらしさが続くであろうことを示しているなどと主張する。しかしながら、同書においても指摘されているとおり、資料上は執行の開始時刻と終了時刻をどのように決めたのかは明らかとはいえず、検察官として死刑の執行に立ち会った経験を供述した土本武司の原審公判証言によれば、執行終了時刻の決定に当たり、受刑者の死亡の確認に慎重を期していることが認められるほか、個々の執行において、受刑者の個体差によりある程度の差異が生じることも考えられるのであり、所論指摘の点から直ちに執行方法それ自体が受刑者に不必要な精神的、肉体的苦痛を与える方法であるとはいえない。

そして、我が国における絞首刑の現在の執行方法は、後にみるとおり、明治6年太政官布告で規定する死刑の執行方法の基本的事項に則って行われているところ、原審で取り調べた統計資料によれば、昭和25年から平成22年までの間、全国の執行施設において合計571回にわたり安定的、継続的に刑の執行が行われており、相応の実績が積み重ねられているのであって(原審弁第69号証、第70号証)、前記土本証言によっても、刑務官において絞縄の位置関係などについて適切な執行方法になるよう配慮して慎重に執行手続が実施されていることが認められるところである。

3 次に、上記昭和36年最高裁判決は、死刑の執行方法に関する事項を定めた明治6年太政官布告について、死刑の執行方法に関し重要な事項を定めており、同布告に定められたような死刑の執行方法に関する基本的事項は、法律事項に該当すると解すべきところ、同布告は、現行憲法下においても、法律と同一の効力を有するものとして有効に存続しているといわなければならず、現在の死刑の執行方法が同布告の規定どおりに行われていない点があるとしても、それは同布告で規定した死刑の執行方法の基本的事項に反しているものとは認められない旨判示している。そして、同布告は、上方の梁から下げた絞縄の下方に踏み板を描くなどした図式を添付し、「凡絞刑ヲ行フニハ……両手ヲ背ニ縛シ……面ヲ掩ヒ……絞架ニ登セ踏板上ニ立シメ……絞縄ヲ首領ニ施シ……踏板忽チ開落シテ囚身……空ニ懸ル」などと基本的事項を定めており、要するに、受刑者の首に縄を巻き、その縄を上方に固定し、受刑者が立っている場所の床面を開くことにより、受刑者の身体の重みにより絞首するという執行方法を定めたものであるところ、現在の我が国における絞首刑の執行方法は、受刑者を踏み台の上に立たせ、絞縄を首に掛け、両手・両足を縛り、執行ボタンを押すことにより踏み板が開落し、受刑者が自重により落下するというのであるから(当審弁第9号証)、同布告の定める基本的事項に則って行われていることは明らかである。

弁護人は、①現在の絞首刑の執行方法は、同布告の定める地上高架式から地下高架式に、踏み板から地面までの高さが9尺(約2.7メートル)から約4メートルに、「二人を絞すべき装構」から「一人を絞すべき装構」に、絞縄の長さが2丈5尺(約7.6メートル)から約11メートルに、「紙ニテ面ヲ掩イ」と定められていたのが紙から布にそれぞれ同布告から変更されて、同布告どおりには行われていない、②監獄法は、刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律(平成17年法律第50号)に改正されているのに、死刑の執行方法に関しては、明治6年太政官布告に変わる法律が制定されずにそのまま放置されているから、死刑の執行方法に関する新たな法律を制定すべき憲法上の義務が存在する旨主張する。

そして確かに、現行の絞首刑の執行方法と明治6年太政官布告が規定した死刑の執行方法は、基本的事項では合致するものの、細部は多くの点で食い違いが生じている。また、弁護人が原審及び当審で立証するように、死刑制度や執行方法などに関して、諸外国では検討が進められ、様々な法整備もなされていることが認められる。そのような情勢などにも照らすと、生命を奪う究極の刑である死刑の執行方法について、今もなお、140年も前の明治6年に太政官布告として制定され、執行の現状とも細部とはいえ数多くの点で食い違いが生じている明治6年太政官布告に依拠し、新たな法整備をしないまま放置し続けていることは、上記昭和36年最高裁判決が、死刑の執行方法は法律事項であると判示した趣旨にも鑑みると、立法政策として決して望ましいものではない。とはいえ、現在の絞首刑も、その基本的事項は、法律と同一の効力を有する明治6年太政官布告に従った方法に則って執行されていることからすると、我が国において死刑の在り方やその執行方法の在り方に関する検討が未だ十分には進んでおらず、しかも、死刑の執行自体は前にみたように安定的な運用が行われている現時点においては、未だこのような立法の不作為が憲法上の要請に反しているとまではいえないから、立法の不作為の違憲性を主張する弁護人の主張は、結局、失当である。

したがって、我が国の死刑の執行方法が憲法に反しているという論旨は、いずれも理由がない。

《引用終了》

Home > 裁判資料 > 絞首刑に関する裁判員裁判の控訴審判決(2013年7月31日大阪高裁判決)

Return to page top