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絞首刑の事故:R.J.キンケード医師の論文(英国) 首の切断

資料16抜粋

R.J.キンケード(R.J.Kinkead)医師は、ゴールウェイ(Galway)の国立大学(Queen’s Collage)で法医学講師を務めましたが、ダブリンの国立刑務所の医師として勤務したこともありました。彼の在任中、10人の死刑執行があり、彼はそのうちの6人に医師として立ち会いました。また首吊り自殺で死亡した遺体を3人見ました。彼はその経験をランセットの1885年4月11日号(The Lancet April 11, 1885)の657~658頁に執筆しています。マーウッド(Marwood)氏は、当時の英国で有名な絞首刑執行人です。

以下はこの論文「9例の縊死(6例の死刑執行と3例の自殺)に関する所感」(Remarks on death by hanging <six executions and three suicides>)(英語)の一部を訳したものです。

《引用開始》

(冒頭部分省略)1880年1月から10名の男性が死刑を執行され、3名はゴールウェイの国立刑務所で首吊り自殺を遂げている。私はこれらの男性のうち6名の死刑執行に立会い、発見後数分以内の自殺した死体を見た。

マーウッドはそのうち8人の死刑執行で絞首刑執行人を務め、彼はその義務を迅速に遂行して死は瞬時に起こっていたが、それにもかかわらず、準備の開始からボルトが引かれるまで、その犯罪者にとってはひどく長く思われたに違いないように私には思えた。

私の観察は、1人の死刑執行人が同時に複数の絞首刑を試みるべきではないと私に確信させた。なぜなら、事故が起こるかもしれないし――実際1例で起こったが――そしてそれによって犯罪者の死が長引かされるだけではなく、他の者の準備ができるまで落下を待っている哀れな犯罪者の精神的緊張と苦悩は悲惨なものであるに違いないからである。

耐えながら観察している私にとっては、時間は果てしなく思えた。その仕事は迅速に行われ、1分もしくは2分以上はかかっていないのだけれども。死のまぎわにあるその不幸な生き物にとって、それはいかなるものであったであろうか!

これは、その過程を記述すれば完全に理解されるだろう。

囚人の両腕が、その死刑囚の独房で縛られる。ベルトが腰の辺りでバックルで締められる;このベルトには紐が2本ついていて、ベルトが適切な位置に置かれたとき、2本の紐は腸骨の上前棘の前上方のおよそ1~2インチ(訳注:2.5~5.1センチ)のところについている。両腕は、これらの紐によってベルトの脇で固定される。したがって指を体の前で組むことは難しく、肘はやや後方に突き出る。きつく縛られた状態で囚人は処刑台まで歩かされ、落下板の上に据えられる。そこは斜めの支柱に取り付けられたリングのすぐ下で、リングにはロープがつながっている。それから両脚が膝関節と足関節の間の位置で紐を用いて一緒に固定される。次に輪縄が首の周囲に置かれ、喉の周りにしっかりと引き寄せられ、ワッシャーもしくはリングによって位置を固定される。それから、白いキャップがかぶせられ、後ろに下がった死刑執行人がボルトを引く。

さて、どれだけ死刑執行人が器用で練習を重ねたとしても、両脚を縛り、ロープを調整し、キャップをかぶせるのに時間を要することは明らかである。そして、もし、同じことが他の1人もしくは2人に対して行われている間、囚人が立ったままで残されているとしたら、彼の苦悩は大変悲惨なものにちがいない。その苦悩を誰も実際に想像できないと私は思うのだが、1例において、単独の死刑執行で大変迅速に行われたにもかかわらず、その男は気絶し、ボルトが引かれたとき実際に横へと倒れつつあったのだ。

マーウッドは、死刑執行で長い落下を用いて結び目を顎の下に置いた。ロープは斜めの支柱のリングから囚人の背中の後ろに垂れ下がり、そして腰の下から顎の下につながるまでループになっていた。したがって、落下距離は囚人の背丈のよりいくらか多かったということが分かるだろう。このやり方は、もし囚人が精神的に安定している場合はうまく機能した;しかしもし不安定な場合、実際に一度起こったような危険性が生じた――体が落下した時、囚人の肘にループ状になったロープがひっかかって、その結果死が瞬時に起こることを妨げるという危険である。

私が絞首刑に立会った最初の男は、1880年1月に死刑を執行された。彼は背が高く力に満ち溢れた体格の人物で、偉大な勇気をもって自らの死に臨んだ。死刑の執行から一時間半後、解剖学の教授であるピー医師が助手を務めて私が検死を行った。

便失禁はなかったが、精液の放出があった。頸部の解剖で、我々はその組織のほとんどが完全に断裂していることを見出した。第三頸椎の椎体は対角線上を横断して骨折し、残存部から少なくとも2.5~3インチ(訳注:6.4~7.4センチ)ほど分離され、脊椎は完全に断裂し、そして実際のところ、頭部は、剥離さえしていない皮膚、いくつかの筋肉の断片、および右側の血管でのみ、体幹との連続性が保持されていた。気管と食道、左側の頸動脈と頸静脈は断裂しており、組織は気腫状態であった。胸郭を開くと、肺では特に異常な所見はなかった。肺は軽度にうっ血していたが、特に顕著というほどではなかった。左心は内容物が無く堅く収縮していた。しかし、右の心房と心室の両方が泡沫状の血液で充満していた。断裂された気管から漏れた空気が頸静脈を介して下方に吸引されたことは明らかである。

私が立会った次の死刑執行は、1883年1月に行われたものだった。囚人は、何とか絞首台までは歩いていったが、絞首台の上で気絶したようだった。ボルトが引かれたまさにその時、彼は左向きになって横に倒れた。ロープのループは彼の膝の位置より下にあったので、落下が長すぎたのは明らかである。

首の右側で皮膚のおよそ1.25~2インチ(訳注:3.2~5.1センチ)を残して全ての組織が完全に離断されていたので、死因となる損傷を大雑把に確認するだけで検死の必要はなかった。事実、皮膚のその小部分がなければ、彼は完全に頭部を離断されていたであろう。この結果は、過剰に長い落下、細い首、そしてその男性の気絶によって回転運動が生じ、その結果、体の落下による牽引力が首の長軸の方向に作用せず、側方に部分的に働いたことに起因すると私は考える。

その次の2名の男性は2日後に死刑を執行された。検死官は検死が必要であるとは考えなかったが、体表から検査した結果、それぞれの事例で脊椎骨が分離されたことは疑いないと私は考える。初めのケースでは、第三頸椎の椎体の真の骨折、2番目のケースでは第二頸椎と第三頸椎の間で分離が起こったと記録した。そして私が最後の2例で判断しうる限りでは、脱臼はおおよそ同じ場所であった。それぞれの頸椎の椎体の端は少なくとも2.5~3インチ(訳注:6.4~7.4センチ)は分離していることが明確に触知できた。

もし記憶を正確に喚起できているならば、ダブリンの死刑執行で見られた所見は、全例において脊椎骨がそれぞれ牽引分離され、脊髄が切断した結果であった。私がゴールウェイを離れていた時に起こった4例では検死は行われなかったが、私の義務を放免した紳士たちは、3例で骨の分離に関して疑いがなかったと私に告げてきた。4番目の事例では、ロープが肘の下でひっかかった事例で、{しいん}審問における医者の証言は、首の脱臼もしくは骨折はなく、死因は窒息死によるというものだった。

《引用終了》

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