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絞首刑に関する裁判員裁判の一審判決(2011年10月31日大阪地裁)

絞首刑が残虐な刑罰か否かが争われた初の裁判員裁判で、2011年10月31日に大阪地方裁判所は判決を出しました。判決は、「絞首刑には前近代的なところ」がある、「絞首刑が死刑の執行方法の中で最善のものといえるかは議論のあるところであろう」と認めたものの、結論として、絞首刑は残虐な刑罰ではないとしました。以下はその判決の絞首刑の合憲性に関する部分の抜粋です。

《引用開始》

第2 絞首刑の憲法適合性

1 弁護人は、「絞首刑は、受刑者に不必要な苦痛を与え、頭部を離断させるおそれもある。その実態は、執行に立ち会った者が、これほどむごたらしいものはないと述懐するほどのものである。世界的に見ても、今日、絞首刑を維持している国は限られている。これらの点からすると、絞首刑が残虐ではないとした判例(最大判昭和30年4月6日刑集9巻4号663頁)は、時代と環境の変化の下で、もはやその前提を失ったというべきである。絞首刑は憲法36条に反する残虐な刑罰に当たる。また、頭部離断に至った場合には、断頭刑となり、法の定めない刑が執行されたことになって、憲法31条にも反する」旨主張する。

2 裁判員の意見も聴いた(裁判員の参加する刑事裁判に関する法律68条3項)上、弁護人の主張を検討したが、絞首刑は憲法に違反するものではないとの結論に至った。その理由は以下のとおりである。

(1)ア 法医学者であるヴァルテル・ラブル証人によれば、絞首刑で受刑者が死亡する経過や、心身に及ぼす影響は以下のとおりと認められる。すなわち、

(ア)最も多く、典型的な経過は、①頸動静脈の圧迫により脳への血流が遮断されて酸欠状態となり、脳細胞が死滅して心臓停止により死亡する、あるいは、②咽頭が圧迫されて気道閉塞のため酸欠状態に陥り、同様の経過で死亡する、という2つのパターンである。これらは競合することも考えられる。前者(①)の場合には、脳に酸素が残る5ないし8秒間は意識があり、後者(②)の場合は、体に酸素が残る一、二分間は意識がある。そして、この間、頸部圧迫による苦しみや、縄によって生じる頸部の傷に伴う痛みを感じる。

(イ)もっとも、縄のかかり方によっては、首が左右均等に絞まるとは限らないため、意識のある時間がより長くなって、痛みや苦しみもより大きなものとなる。加えて、加わる力が大きすぎるときは、頭部が離断することも考えられる。その場合、首の皮が強いため、完全に離断はせず、内部組織だけが一部離断する場合も多い。これを避けるため、縄の長さ(落下距離)を短くすれば、締まり方が緩慢になり受刑者の苦痛が増す。頸部組織の強さなどは、個人によってまちまちであるため、頭部の離断を完全に防ぐことは不可能である。

イ また、土本武司証人は、自らが絞首刑の執行に立ち会った体験をもとに、「少し前まで呼吸をし、体温もあった受刑者が、手足を縛られ、首をロープにかけられ、執行後、首を基点に揺れる様子は、正視に耐えないむごたらしいものだと思った。絞首刑には、どのようなことが起きるのか予見できず、あってはならない事態が起きる可能性があるという問題もある」旨述べた。

(2)ア このように、絞首刑は、多くの場合、意識喪失までに最低でも5ないし8秒、首の締まり方によっては、それが2分あるいはそれ以上かかるものとなり、その間、受刑者が苦痛を感じ続ける可能性がある。しかも、場合によっては、頭部離断、特に頸部内部組織の離断を伴うことがある。絞首刑には、受刑者が死亡するまでの経過を完全には予測できないといった問題点がある。

イ しかし、死刑は、そもそも受刑者の意に反して、その生命を奪うことによって罪を償わせる制度である。受刑者に精神的・肉体的苦痛を与え、ある程度のむごたらしさを伴うことは避けがたい。憲法も、死刑制度の存置を許容する以上、これらを不可避のやむを得ないものと考えていることは明らかである。そうすると、死刑の執行方法が、憲法36条で禁止する「残虐な刑罰」に当たるのは、考え得る執行方法の中でも、それが特にむごたらしい場合ということになる。殊更に受刑者に無用な苦痛を与え、その名誉を害し、辱めるような執行方法が許されないことは当然としても、医療のように対象者の精神的・肉体的苦痛を極限まで和らげ、それを必要最小限のものにとどめることまで要求されないことは明らかである。自殺する場合に比べて、安楽に死を迎えられるということになれば、弊害も考えられる。特にむごたらしいか否かといった評価は、歴史や宗教的背景、価値観の相違などによって、国や民族によっても異なり得るし、人によっても異なり得るものである。死刑の執行方法が残虐と評価されるのは、それが非人間的・非人道的で、通常の人間的感情を有する者に衝撃を与える場合に限られるものというべきである。そのようなものでない限り、 どのような方法を選択するかは立法裁量の問題といえよう。

ウ 絞首刑が死刑の執行方法の中で最善のものといえるかは議論のあるところであろう。しかし、死刑に処せられる者は、それに値する罪を犯した者である。執行に伴う多少の精神的・肉体的苦痛は当然甘受すべきである。また、他の執行方法を採用したとしても、予想し得ない事態は生じ得るものである。確かに、絞首刑には、前近代的なところがあり、死亡するまでの経過において予測不可能な点がある。しかし、だからといって、既にみたところからすれば、残虐な刑罰に当たるとはいえず、憲法36条に反するものではない。
また、ラブル証人の証言や、弁護人が提出した証拠によっても、頭部離断は、例外的に事故として生じるものであると認められ、 しかも、多くの場合、頸部内部組織の離断にとどまる。そうすると、たとえこれらの事態が生じたとしても、多くの場合、断頭とまではいえないし、極めてまれな例外的な場合を一般化し、絞首ではなく断頭であるとするのは相当ではない。したがって、憲法31条に反するものでもない。

弁護人の主張は理由がない。

《引用終了》

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