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絞首刑の事故:小野澤おとわ氏〈1〉(日本) 首の切断

資料12抜粋

1883年(明治16年)7月6日に東京市ヶ谷監獄署で小野澤おとわ(「とわ」と表記する報道もある)という女性が絞首刑を執行されました。その様子を7日付の読売新聞が報じています。絞首刑の執行方法は、この記事の当時も今も基本的に同じ方法です。

《引用開始》

駒込富士前町の小野澤おとわ(三十七年三ヶ月)の犯罪事件は前号に委(くわ)しく記載した通り。同人は昨年七月二十五日南豊島郡(みなみとしまごおり)中里村圓勝寺の住職藤澤立信(ふじさわりっしん)の母親お里かを蚊帳(かや)の釣緒(つりお)にて縊(くび)り殺した科(とが)に依り、同年十二月十六日東京重罪裁判所にて刑法第二百九十六条に照し死刑に処せられ、裁判に服せず大審院へ上告したに付、同院にて審理のすえ原裁判を破毀し、更に刑法第三百八十条強盗人を傷し死に致したるとの条に依り死刑に処すと宣告せられ死刑確定したにつき、大木司法卿の命令に依り昨日午前八時三十分市ヶ谷監獄署内の刑場にて死刑を執行せられし模様と聞くに、重罪裁判所より中川検事と書記内川何某が出張され、また監獄署の副典獄(ふくてんごく)其(その)他(た)の獄吏(ごくり)が出張ありて用意全く調いたれば、頓(やが)て押丁(おうてい)監守人等にて刑場の傍(かたわら)なる仮牢の内に控えしおとわの囚衣を脱がせて、最初取り押えられし時着て居りし袷衣(あわせ)を着せ、浅草紙にて面部を覆い後手に縛りしまま刑場へ引出し、刑台(けいだい)にて梯(はしご)を上りて内に入り、頓(やが)て看守より用意の調いし旨を告げ、刑台の踏板を外すと均(ひと)しくおとわの体は首を縊(くく)りて一丈余(いちじょうよ)の高き処(ところ)よりズドンと釣り下りし処、同人の肥満にて身体(からだ)の重かりし故か釣り下る機会(はずみ)に首が半分ほど引き切れたれば血潮(ちしお)が四方(あたり)へ迸(ほとばし)り、五分間ほどにて全く絶命したれば縊縄(くびりなわ)を解き、死体は法の如く埋葬にするべき処をおとわの兄何某より死骸のお下渡しを願い出たにつき、直に聞届けて同人へ引渡されたという。

《引用終了》

〈注 原文の旧仮名遣いは新仮名遣いに、漢字の旧字体は固有名詞以外を新字体に改めた。全ての漢字にルビがあったが、必要と思われるものに絞った。原文には句読点は全くないが、適宜補った〉

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