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法医学者の論文:絞首刑遺体の解剖結果

石橋無事医師の論文

これは、九州帝国大学医学部法医学教室に所属する石橋無事医師が書いた論文からの抜粋です。この論文によると、絞首刑で死亡した死刑囚の首の内部は激しく傷付いていることが分かります。なお、表記を新字体・現代仮名遣いに改めるなどしました。また、死刑囚の氏名と執行日は、官報の記載をもとに新たに加筆修正しました。

《引用開始》

「死刑屍の法医学的研究(上)」「同(下)」

石橋無事〈犯罪学雑誌〉9巻540~547、660~666頁

(冒頭略)

かつて我が教室に於ては刑事人類学研究の目的で20数体の死刑屍を集めて解剖せられたが、大正十四年祝融の災に遭った為め、標本並に検査記録の大半を焼失した。其の刑事人類学的事項に就ては先に平光(4)(5)池田(6)左座(5)(11)の諸氏によりて報告せられたから、余は記録のようやく完全保存せられたもの11例及び記録は失われたけれども保存標本によりて頸部の変化を窺い得るもの3例を集め、主として法医学的所見を整理補綴して縊死体所見の補遺とし、ここに之を報告する。

注意、各死体は何れも股動脈内に防腐剤を注入して、長崎監獄から鉄路運搬せられたものである。

検査記録摘要

第1例、奥田安吉、当46歳、死亡大正6年4月16日、解剖検査同年同月19日。

1男屍、身長179.0センチメートル、体重58.3キログラム、体格栄養共に佳良、皮膚の色は一般に汚穢黄褐色で、背面肩甲部に淡紫褐色の死斑を形成し、死体強直は各関節に強く存在する。

顔面、紫藍色を呈し、眼瞼結膜は蒼白で溢血点なく、瞳孔は円形にして開大し、左右ほぼ同大である。角膜は中等度に混濁し、左右の鼻孔より暗赤色の血様液を洩す。口唇粘膜は汚穢暗紫藍色、舌尖は歯列の間に挟まれ、口腔内から血様液を洩し、左右の耳腔内には異物を認めない。

頸部には左耳垂の下後方6.0センチメートル、左乳様突起の下前方4.5センチメートルの部に小指爪床大暗赤褐色の表皮剥脱があり、それから前下方に向って、喉頭隆起の上方を走り、右頸部を後上方に昇りて、右乳様突起の直下方4.0センチメートルの部に達する幅0.4センチメートルの暗赤褐色で硬い帯状の表皮剥脱がある。(索溝)。この索溝の中で喉頭隆起の直上方にて左右径5.0センチメートル、上下径1.2センチメートルの部に長さ約0.7センチメートル乃至0.2センチメートルを算し皮下に達する4個の皮膚裂傷がある。

心臓は大きさ本屍手拳の約2倍大で外膜下に溢血点を認めない。左心内には約30.0ミリリットル、右心内には約17.0ミリリットルの暗赤色流動血を容れ、心臓剔出の際には、周囲の血管から約90.0ミリリットルの同様血を洩らす。

肺臓は容積に富み、割面よりは圧によりて血様泡沫液を洩らし、捻髪音を感ずる。

腹腔臓器は何ずれも血量に富み、胃の内容は多量の半消化状糜粥物で、麦飯を主とし、昆布片を混じて居る。

縦及び横静脈洞内には暗赤色流動血がある。

第2例、野田太登一、当32歳、死亡大正6年4月17日、解剖検査同年同月20日。

1男屍、身長158.7センチメートル、体重57.3キログラム、体格中等、栄養やや良、皮膚の色は一般に蒼白で、背面に淡紫紅色の死斑を形成し、死体強直は各関節に於て中等度である。

顔面は一般に淡紫紅色を呈し、左頬部は圧平せられ左頬骨弓の部に約指尖大の褐色、革皮状の斑紋がある。眼結膜は左は軽度に、右はやや高度に血管充盈し、溢血点を認めない。角膜は軽く混濁し、瞳孔は中等度に開大し右は左に比してやや大きい。鼻翼を圧するに右鼻孔より暗赤色の血様液を洩らし、鼻孔の周囲また同様物で汚染せられる。口唇粘膜は紫紅色で歯列は正しく、舌尖は歯列の間に挟まり、左右の耳介及び耳腔に損傷異常を認めない。

頸部には喉頭隆起の上方1.0センチメートルの部に幅0.8センチメートルの帯状溝があって、左右共上後方に走り、左は乳様突起の下後方4.0センチメートルの部で後髪際に終り、右は乳様突起の下後方3.5センチメートルの部に至って消失する。この索溝は黄褐色革皮状を呈し、前頸部及び左側頸部では著明で表皮剥脱を伴い、右頸部ではやや不明瞭で僅かに皮膚が陷凹して居るのみである。尚前頸部にはこの索溝の上方1.0センチメートルの部に、之にほぼ平行して長さ5.5センチメートル、幅0.2センチメートルの皮膚裂傷を認め、暗赤色で乾固して居る。

心嚢の内面は滑沢で溢血点を認めない。

心臓の大さは本屍の手拳よりやや大きくて、心内には暗赤色の流動血があり、心臓剔出の際には周囲の血管から同様血を洩らす、心外膜には左室に近き右室の前面に個の粟粒大溢血点を認め、其の左下方に13個の針尖大から米粒大に及ぶ漿膜下溢血点があり、後面にも冠状溝に沿いて5個の同様溢血点が存する。

肺臓、左肺下葉外面の中央に多数の粟粒大暗紫紅色の溢血点があり、右肺下葉の前面及び後面にも多数の漿膜下溢血点が散在する。

頸部臓器、舌は灰白色で歯痕が有り、咽頭及び食道の粘膜は滑沢で淡紅色を呈し、気管粘膜もまた滑沢で異常を認めない。

腹腔臓器は何れも血量に富み胃の内容は500.0ミリリットルを算し、多数の小豆片を混じたる未消化状の麦飯である。

第3例、照山梅治、当27歳、死亡大正6年4月30日、解剖検査同年5月1日。

1男屍、身長163.1センチメートル、体重59.9キログラム、体格中等度、栄養佳良、皮膚の色は一般に汚穢淡褐色蒼白で背面には暗紫褐色の屍斑を現わし、死体強直は各関節に於て中等度に存する。

顔面は暗紫紅色を呈し、眼結膜は汚穢暗紫紅色で血管やや充盈し、溢血点を認めない。角膜は軽く混濁し、瞳孔は左右共に開大し、左はやや楕円形、右は殆んど円形である。鼻翼を圧すると鼻孔から暗赤色の血様液を流出し、口唇粘膜は紫紅色、舌尖は歯列の外に突出し、舌尖の右側で口角に近い所に爪床大の暗赤紫色斑があって(粘膜下出血)、歯痕を有する。左右の耳介及び耳腔には損傷異常を認めない。

頸部、前頸部には喉頭隆起の直上方に幅約1.0センチメートル、長さ22.5センチメートルの索溝があって、左端は乳様突起の直下方5.0センチメートルの部に達し、黄褐色革皮状を呈する。

心臓の大さは本屍手拳の約1倍半で、左心内には50.0ミリリットル、右心内には約300.0ミリリットルの暗赤色流動血を容れ、内に少許の豚脂様凝血を含む、心臓剔出の際に、周囲の血管から約165.0ミリリットルの同様血を洩らす。

肺臓、左肺肋膜は全部繊維性癒着を営み、内部には乾酪様物質を充満した空洞及び多数の指頭大及び大豆大の石灰沈着竈がある。左肺はやや血量に富み、右肺はやや之れに乏しい。

腹腔臓器は何れも血量に富み、胃の内容は約932.0ミリリットルの未消化状の麦飯である。

頸部臓器を連結の儘、一斉に剔出して検するに、頸部臓器は甲状軟骨の上部に於て、筋肉及び靭帯と共に全く上下に離断せられて、左右径9.5センチメートル、上下径5.0センチメートルを算する空洞を形成し、喉頭部は潰滅し、舌骨の大角及び甲状軟骨の上角は共に根元から折破せられ、同じ高さで左頸動脈の内膜に3個、右頸動脈の内膜に3個の長さ0.5センチメートル乃至0.9センチメートルを算し、殆んど水平に走って居る裂傷があり、咽後結締織間に鶏卵大組織間出血を認める。

第4例、松原友市、当33歳、死亡大正6年4月30日、解剖検査同年5月3日。

1男屍、身長150.0センチメートル、体重44.4キログラム、体格、栄養共にやや不良、皮膚の色は一般に汚穢暗紫褐色で、背面に紫紅色の死斑を形成し、死体強直は各関節に中等度に存する。

顔面は汚穢紫褐色を呈し、眼瞼結膜は蒼白で溢血点なく角膜は中等度に混濁し、瞳孔の大さまた中等度で鼻孔からは異常の液を洩さず。舌尖は歯列の後方にあり、耳介及び耳腔に損傷異常を認めない。

頸部には左乳様突起の下方4.5センチメートルに始り、前頸部に於いては、喉頭隆起の直上方を走り、右乳様突起の下やや後方3.0センチメートルの部に至る索溝があり、幅は0.5センチメートルを算し、黄褐色革皮状を呈し、暗紫紅色の部を混する。

心臓の大さは本屍の手拳よりやや大きくて、左心内には約20.0ミリリットル、右心内には約90.0ミリリットルの暗赤色流動血を容れ、内に少許の豚脂様凝血を混在する、心臓剔出の際に周囲の血管から約120.0ミリリットルの同様血を洩らす。

肺臓は左右共表面暗紫紅色で上葉はやや退縮せるの感があるが下葉はやや容積に富む、割面の色は表面のそれに同じくて圧によりて暗赤色の血性泡沫液を洩らす。

胃には帯褐緑色の未消化状麦飯250.0ミリリットルを容る。

第5例、牟田千太、当32歳、死亡大正6年6月2日、解剖検査同年同月4日。

1男屍、身長150.6センチメートル、体重49.0キログラム、体格、栄養共にやや不良、皮膚の色は一般に蒼白で、背面には紫紅色の屍斑を形成し、死体強直は各関節に中等度に存する。

顔面は汚穢淡褐色を呈し、左右の眼結膜は蒼白で溢血点を認めない。角膜は中等度に混濁し、瞳孔は左右共やや開大して同形同大である。鼻翼を圧するも左右の鼻孔から異常の液を洩さない。口唇粘膜は暗紫紅色で舌尖は歯列の間に突出し、口腔内に異物なく、左右の耳介及び耳腔に損傷異常を認めない。

頸部には喉頭隆起の直上方から斜に後上方に走って居る索溝がありて、幅約0.4センチメートルを算する。一般に帯黄褐色にて革皮状をなし、右頸部に於ては最も著明で暗赤色を呈する。

心臓の大さは本屍の手拳よりやや大きくて左心内には約15.0ミリリットル、右心内には約45.0ミリリットルの暗赤色流動血を容れ、心臓剔出の際には約30.0ミリリットルの同様血を洩らす、心外膜下に溢血点を認めない。

肺臓、左肋膜には手拳大の癒着があり、右肋膜は全部癒着して居る。肺臓は左右共に血量に富み、豌豆大乃至5厘銅貨大の乾酪様竈がある。

腹腔臓器は血量に富み、胃の内容は約400.0ミリリットルの半消化状の麦飯である。

第6例、濱崎雪次郎、当45歳、死亡大正6年6月29日、解剖検査同年同月30日。

1男屍、身長152.0センチメートル、体重43.5キログラム、体格やや不良、栄養中等度、皮膚の色は一般に汚穢暗褐灰白色で、背面には微紫紅色の屍斑を形成し、死体強直は各関節に強く存する。

顔面、汚穢淡褐色で、左右の眼結膜は蒼白、溢血点を認めない。眼球結膜はやや高度に水腫状を呈する、角膜はやや強く混濁し、瞳孔は強く開大し、殊に左の方が強い、鼻翼を圧すれば鼻孔から暗褐色の血様液を洩し、口唇粘膜は紫藍色で、舌尖は歯列の間に介在し、左右の耳介及び耳腔には損傷異常を認めない。

頸部には喉頭隆起の直上方から左右共に、後上方に向って斜走せる幅約3.0センチメートルの索溝がある。左は左乳様突起の下前方5.0センチメートルの部に達し、右は右乳様突起の殆んど直下方5.5センチメートルの部に終り、暗赤褐色革皮状を呈する。

心臓の大さは本屍手拳の約1倍半で、左心内には約20.0ミリリットル、右心内には約30.0ミリリットルの暗赤色流動血を容れ、内に少許の軟凝血を混ずる。心臓剔出の際に、周囲の血管から約150.0ミリリットルの同様血を洩し、心外膜下には溢血点を認めない。

肺臓、左は表面暗褐色で右は暗赤色、割面の色は左右共に表面のそれに同じく、圧によりて暗赤色の血様泡沫液を洩らす。

腹腔臓器は血量に富み、胃内には麦飯粒及び少許の赤褐色粘稠液を容る。

第7例、古河定助、当27歳、死亡大正6年8月18日、解剖検査同年同月19日。

1男屍、身長164.0センチメートル、体重51.0キログラム、体格中等、栄養不良、皮膚の色は一般に蒼白で、背面殊に肩甲部には紫紅色の死斑を形成し、死体強直は各関節に中等度に存する。

顔面は汚穢淡紫褐色で左上眼瞼結膜は蒼白、左下眼瞼結膜及び右眼瞼結膜は紫紅色を呈し溢血点を認めない。角膜は軽く混濁し、瞳孔はやや開大し、円形で左右同大である。鼻翼を圧するに左右の鼻孔から汚穢暗赤色の泡沫液を洩す。口唇粘膜は汚穢紫褐色で溢血点なく、舌尖は歯列の後方にあり、耳介及び耳腔に損傷異常を認めない。

頸部には左乳様突起の後下方4.5センチメートルの部で髪際から始まり、前頸部に於ては喉頭隆起の上方0.7センチメートルの部を走り、右乳様突起の前方7.0センチメートルの部に終って居る暗赤色革皮状の索溝がある。この索溝の下方に全頸部を環状に囲繞する同様索溝があり、後頸部に於ては外後頭結節の直下方6.0センチメートルの部を走行する。

背面肩甲部に粟粒大乃至麻実大の多数の皮下溢血点がある。

心臓の大さは本屍手拳の約1倍半で、心内には約150.0ミリリットルの暗赤色流動血を容れ、内に凝血を含まない。心臓剔出の際には周囲の血管から殆んど血液を洩らさず、心外膜下には溢血点を認めない。

肺臓、左右共に表面紫紅色で多数の粟粒大結節があり、割面の色も表面に同じく、血量が多く、至る所に前記同様の結節を認むる。

頸部臓器を連結の儘、一斉に剔出して検するに、頸部臓器は皮下に於て全く破壊せられ、胸骨舌骨筋、甲状舌骨筋、中舌骨甲状靭帯は全部上下に離断せられ、喉頭もまた会厭の下部に於て上下に分たれて左右径6.0センチメートル、上下径2.5センチメートルを算する空洞を作る。甲状軟骨の上端は露出し、甲状軟骨上角及び舌骨大角は共に基部より骨折潰滅し、周囲の組織間出血があり、この高さに於て左右の頸動脈内膜に数個の長さ0.2センチメートル乃至0.5センチメートルを算する横走せる裂傷があり、咽後結締織間には鳩卵大の組織間出血を認むる。

胃内に約500.0ミリリットルの汚穢褐色糜粥状物を容る。

軟硬脳膜血管充盈する。

第8例、佐久間力蔵、当61歳、死亡大正6年11月12日、解剖検査同年同月13日。

1男屍、身長153.2センチメートル、体重47.9キログラム、体格、栄養共に中等度、皮膚の色は一般に蒼白で背面には紫褐色の屍斑を形成し、死体強直は各関節に強く存在する。

顔面は赤褐色、眼結膜は蒼白で右上眼瞼結膜外眦部に近く3個の針尖大溢血点がある。角膜は中等度に混濁し、瞳孔は中等大に散大し、左右共殆んど円形同大である。鼻翼を圧すれば右鼻孔から暗赤色の血様液を洩らし、歯槽には歯牙なく、舌尖は両口唇の間に挟まる。左右の耳介及び耳腔に異常を認めない。

頸部には左乳様突起の下やや後方4.0センチメートルの部に始まり、斜に前下方に向いて喉頭隆起の直上方2.0センチメートルの部を走り更に右頸部を上後方に向い、右乳様突起の直下方4.0センチメートルの部に終って居る索溝がある。前頸部に於ては幅約1.8センチメートルでやや陥凹し、帯褐色革皮状を呈し、索溝の左端部に近い所に豌豆大の数個の表皮剥脱がある。

背面には多数の粟粒大乃至米粒大の皮下溢血点がある。

心臓の大さは本屍手拳の約2倍大で冠状血管は充盈し、溢血点を認めない。左右の心内には各約20.0ミリリットルの暗赤色流動血及び軟凝血があって、心臓剔出の際には周囲の血管から約50.0ミリリットルの同様血を洩らす。

肺臓、左肺下葉の後面上部には繊維性の癒着があって、粗糙であるが、他は滑沢で暗紫赤褐色を呈し、截痕面には数個の粟粒大溢血点を認める。割面の色は暗赤褐色で血量に富み、右肺は下葉の肋骨面に数個の溢血点を認むるの他性状凡て左肺と同様である。

頸部臓器を連結の儘、一斉に剔出して検するに舌は蒼白にして硬く、頸部臓器は皮下に於て破壊せられ、胸骨舌骨筋、肩甲舌骨筋、甲状舌骨筋、中舌骨甲状靭帯等は凡て上下に離断せられ、喉頭軟骨には骨折がないが、左右の舌骨大角は其の根元で折傷せられ、喉頭が会厭の下部に於て潰滅せられて居る。其の為ここに左右径6.5センチメートル、上下径3.0センチメートル、前後径4.0の空洞をつくり、其の周囲には強き組織間出血がある。

腹腔臓器は何れも血量に富み、胃には約小児頭大量の汚穢褐色未消化状の米麦飯粒を容れ、内に蔬葉片を混在する。

縦及び横静脈洞内には多量の暗赤色流動血を容れ、内に軟凝血を含み、硬脳膜の血管は充盈。

第9例、柴田与三郎、当53歳、死亡大正6年12月19日、解剖検査同年同月20日。

1男屍、身長158.6センチメートル、体重45.1キログラム、体格、栄養共に中等度、皮膚の色は一般に蒼白で背面には淡紫紅色の軽き屍斑を形成し、死体強直は各関節に強く存する。

顔面は淡紫紅色を呈し、左右の下眼瞼結膜は紫褐色で上眼瞼結膜は中央が蒼白で内外両眼眦に近き部分は紫褐色を呈する。溢血点を認めない。角膜は中等度に混濁し、瞳孔は中等度に開大し、左は径0.5センチメートル、右は径0.6センチメートルを算し、左右共ほぼ円形を呈する。鼻翼を圧するに左鼻孔から異常の液を洩らさないが、右鼻孔からは汚穢淡褐色でやや稀薄なる液を洩らし、死体の位置を動かす毎に口腔から前記同様の液を洩らす。舌尖は歯列の間に挟まれて歯の痕がある。

頸部には左乳様突起の下やや後方4.0センチメートルの部に始まり、喉頭隆起の直上方を通って、右乳様突起の前下方8.5センチメートルの部に終って居る。黄褐色革皮状の索溝があり、其の上下両縁に接する部は紫紅色を呈し、前頸部に於て特に著明である。右頸部は右乳様突起の下やや後方4.0センチメートルの部に長さ1.5センチメートル、幅1.0センチメートルを算する不正四角形の表皮剥脱があり、其の後やや上方1.0センチメートルを距てて、径約1.0センチメートルの同様表皮剥脱がある。共に赤褐色にして乾固す。項部は腫脹してやや硬い。

心臓の大さは本屍手拳の約2倍で冠状血管は著しく充盈し、心外膜下に溢血点を認めない。左心内には約90.0ミリリットル、右心内には約60.0ミリリットルの暗赤色流動血及び軟凝血を容れ、心臓剔出の際、周囲の血管から約120.0ミリリットルの同様血を洩らす。心臓内膜は滑沢で血管やや充盈す。

肺臓、左肺上葉下部に約小児手拳大の繊維性癒着を認め、其の他は滑沢で灰白紫紅色を呈する。上葉の截痕面に4個、下葉の前面及び肋骨面に6個、下端の辺縁に近く13個の粟粒大溢血点が散在する。割面の色は表面のそれに同じくて血量に富み、圧によりて泡沫性血液を洩らす。右肺上中葉の截痕面には5銭白銅貨大及び1銭銅貨大の癒着があり、溢血点を認めない。割面の色は表面のそれに同じく、血量が多く、特に下葉に多くて、やや水腫状を呈する。

頸部臓器、舌は蒼白で歯痕が有り、頸部臓器は甲状軟骨の上部で皮下組織を残して殆んど全く破断せられ、胸骨舌骨筋、肩甲舌骨筋、甲状舌骨筋、中舌骨甲状靱帯等は離断せられ、甲状軟骨は上切痕から下方に向って破砕し、左右径6.0センチメートル、上下径2.5センチメートル、前後径4.0センチメートルの空洞を形成する。左右の胸鎖乳様筋の上部に約扁桃大の筋肉間出血があり、咽後結締織間に約手拳大の組織間凝血を認むる。

腹腔臓器は何づれも血量に富み、胃の内容は約小児頭大量の未消化状麦飯粒である。胃粘膜は滑沢で血管充盈し、大弯に沿いて約小児手拳大の部に針尖大乃至粟粒大の溢血点が群在する。

軟脳膜下血管充盈す。

第10例、周却、当36歳、死亡大正7年1月29日、解剖検査同年同月30日。

1男屍、身長171.6センチメートル、体重52.7キログラム、体格、栄養共に中等度、皮膚の色は一般に蒼白で、背面には淡紫褐色の屍斑を形成し、死体強直は各関節に強く存する。

顔面は紫紅色を呈し、左右の眼瞼結膜は赤褐色で血管充盈し、溢血点を認めない。角膜は中等度に混濁し、瞳孔は左は中等度、右は軽度に散大し、円形である。鼻翼を圧するに左鼻孔からは暗赤色の血様液を洩らし、右鼻孔からは異常の液を洩さない。口唇粘膜は灰白褐色で、舌尖は歯列の後面に達する。左右の耳介及び耳腔に損傷異常を認めない。

頸部には左乳様突起の直下方2.0センチメートルの部から始って喉頭隆起の直上方を走り、右乳様突起の直下方3.0センチメートルの部に終って居る索溝があり、其の下方で更に全頸部を環状に走っている索溝がある。この索溝は後頸部に於ては不鮮明で側頸部に至るに従い著明となり、前頸部に於ては前記索溝と合する、共に黄褐色革皮状を呈し、前頸部には前記の索溝に沿いて其の上部に、左は乳様突起の下やや前方4.0センチメートルの部に始り、前頸部に於ては喉頭隆起の直上方2.5センチメートルの部を経て右下顎隅の下やや前方1.6センチメートルの部に達する幅0.6センチメートルの赤褐色乾固せる表皮剥脱がある。右頸部には索溝の上部に5個の鶉豆大乃至蚕豆大の暗赤色乾固せる表皮剥脱がある。

心臓の大さは本屍の手拳大で心外膜下血管はやや強く充盈せるも、溢血点を認めない。左心内には約60.0ミリリットル、右心内には約50.0ミリリットルの暗赤色流動血を容れ、内に少許の軟凝血を混在する。心臓剔出の際、周囲の血管から同様血を洩らす。

肺臓、左右の両肺は共に表面結締繊性の癒着があり、表面の色は灰白褐色で割面の色は赤褐色を呈する。圧するに泡沫を混じたる暗赤色血液を洩らし、血量は多いが気量に乏しい。

頸部臓器、前記索溝の高さに一致して、頸部臓器の周囲組織に高度の出血があり、暗赤色を呈する。頸部臓器は甲状軟骨の上部に於て上下に殆んど離断せられ、左頸動脈壁には其の高さに於て長さ0.4センチメートルの縦裂創がある。第2頸椎体に骨折を認むる。

腹腔臓器は血量に富み、胃の内容は約1600.0ミリリットルを算し、少許の芋片を混じたる汚穢帯黄緑色の半消化状米麦飯である。

頭部の皮下組織は血量に富み、縦及び横静脈洞内には暗赤色流動血を容れ、硬及び軟脳膜血管は著しく充盈して居る。

第11例、上野幾馬、当44歳、死亡大正8年5月27日、解剖検査同年同月28日。

1男屍、身長153.0センチメートル、体重51.7キログラム、体格中等度、栄養桂良、皮膚の色は一般に汚穢淡褐色で、屍斑は背面及び両下肢の後面にやや著明に現れ、死体強直は各関節に強く存する。

顔面、紫褐色を呈し、眼瞼及び眼球結膜は赤褐色で、溢血点を認めない。角膜は僅に混濁し、瞳孔は中等度に開大し、左右共に同形同大である。鼻翼を圧するに汚穢赤褐色の液を洩らし、口唇粘膜は紫褐色で、口腔粘膜は灰白色を呈し、口から汚穢赤褐色の液を洩らす。舌尖は両口唇の間に介在し、左右の耳介及び耳腔に異常を認めない。

頸部には喉頭隆起の下方約2.0センチメートルの部から左右共に、後上方に斜走して乳様突起の下後方4.0センチメートルの部に終って居る索溝がある。幅2.0センチメートルを算し、暗赤褐色革皮状を呈する。

心臓の大さは本屍手拳の約1倍半で、外心膜は滑沢、左心室壁の上部に約小豆大の漿膜下出血斑がある。左心内約70.0ミリリットル、右心内約110.0ミリリットルの暗赤色流動血を容れ、内に微小なる凝血を含む。心臓剔出の際し、周囲の血管から約70.0ミリリットルの同様血を洩らす。

肺臓、左肺は表面暗紫紅色で滑沢、溢血点を認めない。割面の色は表面に同じく、圧によりてやや多量の暗赤色泡沫液を洩らす、右肺の表面は結締織性被膜で掩われ、淡紫紅色を呈する。其他の性状は左肺に同じ。

胃の内容は約700.0ミリリットルの豆、菜葉を混じたる米麦飯粒である。

頸部臓器、食道内は半消化状の米、麦、豆、菜葉を以て充し、食道粘膜は破裂軟骨の下方1.5センチメートルの部より下方7.0センチメートルの部に亙り汚穢紫紅色を呈し(粘膜下出血)、其の中央部に幅2.0センチメートルの粘膜が断裂剥離せる部分がある。気管上部には前記同様の食物残渣があり、甲状軟骨より下方2.5センチメートルの部の気管軟骨は全く断裂せられ、其部に相当して左右頸動脈内膜に横走せし断裂創がある。左右の胸鎖乳様筋もまた是等の断裂創に一致して断裂し、周囲に出血竈を認むる。

軟脳膜血管充盈す。

第12例 田中徳一、当26歳、男、死亡大正7年3月11日、記録を欠く、頸部臓器の保存標本に就きて検するに、舌には其辺縁に沿いて14対の歯痕がある。頸部臓器は皮下に於て破壊せられ、胸骨舌骨筋、肩甲舌骨筋、甲状舌骨筋、中舌骨甲状靱帯等は全部上下に離断し、舌骨の左大角及び甲状軟骨の左上角は其根本から、舌骨右大角及び甲状軟骨右上角は中央から骨折し、甲状軟骨体また中央に於て縦に破折せられ、喉頭及び咽頭粘膜は会厭の下方に於て離断せられて一大空洞を形成し、周囲は組織間出血によりて暗赤色を呈する、左頸動脈内膜には分岐部より下方1.5センチメートルの部に長さ0.7センチメートルを算し横走せる裂傷がある。

第13例 末海金次郎、当44歳、男、死亡大正7年9月10日、記録を欠く、頸部臓器の保存標本に就きて検するに、舌の辺縁に沿い中央から右方に6個の歯痕がある。頸部臓器は甲状軟骨の直上方に於て上下に離断せられて、一大空洞を形成し、左右の舌骨大角及び甲状軟骨上角は何れも根元から破砕し、上甲状切痕部約指頭大に亙りて挫砕せらる、左右の頸動脈は分岐部の下方1.3センチメートルの部にて断裂し、上断端は上方に牽引せられて、約2.0ンチメートルの間は血管壁が見えない。左右の胸鎖乳様筋もまた断裂部に一致して上下に離断せられて居る。

第14例 氏名不詳の死刑囚、記録を欠く、頸部の保存標本に就き検するに、舌の上面にて舌尖より内方1.0センチメートルの部より右は舌根部右縁、左は左縁中央部に至る間に12個の歯痕が並列し、舌の下面にもまた之に相当して同様歯痕がある。気管は咽頭隆起の下方2.0センチメートルの部にて完全に離断せられ、食道には損傷を認めない。この高さに於て左右の胸鎖乳様筋及び頸部筋肉もまた上下に離断せられ、左頸動脈内膜には分岐部より下方2.0センチメートルの部に長さ0.3センチメートル乃至0.6センチメートルを算する4個の横走せる裂傷があり、右頸動脈内膜には分岐点より下方2.4センチメートルの部に長さ0.9センチメートルを算する同様裂傷がある。第2頸椎骨の左右の上関節面の中央には各々横走する1条の線状不完全骨折がある。

(中略)

ここに報告する諸例は一般縊死の場合と異なり頸部臓器の断裂、出血等が強烈である。之は恐らく、刑死にありては、絞頸と同時に重き身体が急激に落下し、其の頸部に作用する力が強烈なる為めであろうと推測せられる。依って頸部に索条を掛けて、高所から飛び降るようにして、縊死した時にもまた恐らくかくの如き頸部臓器の強烈なる損傷を呈するだろうと推測せられる。

(以下略)

《引用終了》

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