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絞首刑の事故:アーサー・ルーカス氏(カナダ)など 首の切断

資料2抜粋

カナダの絞首刑で死刑囚の首が切断された例について、2007年にDundurn Pressから出版されたロバート・J・ホショウスキー(Robert J.Hoshowsky)氏著書「THE LAST TO DIE Ronald Turpin, Artur Lucas, and the end of capitalpunishment in Canada」(最後の死者 ロナルド・ターピン、アーサー・ルーカス、そしてカナダの死刑廃止)が描写しています。

カナダは、英国と同様に、かつて絞首刑を採用していました(両国とも1960年代に殺人に対する死刑を廃止し、以後、死刑は行われていません)。著者はカナダの絞首刑で首が切断された例を2つあげています。1つは、1935年のトマシーナ・サラオという女性の例。もう1つは、以下に引用するアーサー・ルーカス氏の例です。引用の中で、シリル・エヴァリット(Cyril Everitt)氏は刑務所の教誨師です。アーサー・エリス(Artur Ellis)は絞首刑執行人が使用していた変名です。1962年12月11日にトロントのドン刑務所で、ルーカス氏はロナルド・ターピン氏と同時に絞首刑を執行されました。この絞首刑が結果的にカナダ最後の絞首刑になりました。

以下はこの書籍(英語)の一部を訳したものです。この資料の引用はお断りします。

《引用開始》

(179頁22行目から180頁17行目までの抄訳)

絞首台の上には2つの輪になった縄が宙にぶら下がり、スポットライトの飾り気のない黄色い光にありのままを照らし出されて、ほとんどこの世のものではないように見えた。絞首刑執行人のアーサー・エリスは覆面をせずに普通の服で彼らを待っていた。94

間もなく2人は絞首台の階段を上がった。よく用いられる13階段の死刑台とは違って、ドン刑務所の絞首台は下の階へと落ちるようになっているため、ほんの少し高くなっているだけだった。午前12時1分に2人は足を縛られて壇のチョークで印が付いた所に背中と背中を向けて立つように言われた。

「何か言いたいことがあるか」と絞首刑執行人が聞いた。

「ない」というのが2人の答えだった。それからエヴァリットは、自分が過去10カ月以上にわたって助けてきた2人に対して、別れのあいさつを告げた。

「天国で会おう」教誨師は2人の頭に黒いフードがさっとかけられた時に言った。絞首刑執行人がフードで覆われた2人の頭と首にロープをかけたときに、ルーカスは静かにすすり泣いて、エヴァリットは詩篇23を朗読し始めた。

…(中略)…

絞首刑執行人が仕掛けをばねで動かして彼らが死に向かって落下していくと同時に、処刑台の床が、部屋中に反響する耳をつんざくばかりのすさまじい音を出して、彼らの足の下に落ちた。絞首刑に立ち会った者は誰もその夜にあった事を長年にわたって明らかにしなかった。当時の新聞は何もかも書いたわけではなかった。

「絞首刑は不手際だった。ターピンはきれいに死んだが、ルーカスの頭はすぐに引きちぎられてしまった。ルーカスの頭は首の腱だけでぶら下がっていた。床中に血が広がっていた。絞首刑執行人がルーカスの体重の計算を間違えたんだ。何という死に方だろう」95エヴァリットは何年も後、彼が亡くなる直前に発表されたインタビューの中で述べた。

(181頁10行目から15行目までの訳)

「誰もが、血しぶき、文字通り水道管が破裂したような恐ろしい出血にあっけにとられていた。壁には血が吹きつけられていた。」その寒々とした12月の夜にターピンとルーカス2人の絞首刑に立ち会ったトロント警察の殺人課の刑事ジム・クローフォードは述べる。クローフォードは2人の事件に関わっていた。

《引用終了》

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