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絞首刑の事故:小野澤おとわ氏〈2〉(日本) 首の切断

資料13抜粋

1883年(明治16年)7月6日に東京市ヶ谷監獄署で小野澤とわ(「おとわ」と表記する報道もある)という女性が絞首刑を執行されました。その様子を7日付の東京絵入新聞が報じています。絞首刑の執行方法は、この記事の当時も今も基本的に同じ方法です。

《引用開始》

去年十二月十六日に死刑の宣告ありしを不服とて上告したる、駒込富士前町廿五番地の小野澤とわ(三十八)が、本夫(おっと)にひとしき中里村圓勝寺の住職藤沢(ふじさわ)立信(りっしん)の実母りかを縊(くび)り殺したる件は上告を棄却され、前裁判のごとく昨日午前第八時三十分市ヶ谷監獄署において死刑と処せられぬ。立会検事中川忠純君書記市川重胤(しげたね)君其他典獄の諸員立列(たちなら)ばれ、例(かた)の如くとわを呼出(よびいだ)して刑場に就しめられ踏板を外し体を堕落(だらく)せしむるに当り、とわが肥満質にて重量(おもみ)のありし故にや絞縄(しめなわ)がふかく咽喉(のんど)に喰込みしと見え鼻口咽喉(はなくちのんど)より鮮血迸(ほとば)しり忽地(たちまち)にして死に就たるにいとあさましき姿なりし。稍(やや)あって死体を解下(ときおろ)されたれど絞縄のくい入りてとれざる故、刃物を以て切断し直に棺におさめられしが、死骸は兄關谷(せきや)新助(しんすけ)の願いにより同人へと下渡(さげわた)されしと。

《引用終了》

〈注 原文の旧仮名遣いは新仮名遣いに、漢字の旧字体は固有名詞以外を新字体に改めた。全ての漢字にルビがあったが、必要と思われるものに絞った。原文には句読点は全くないが、適宜補った〉

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