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上告趣意書補充書(2)

1 はじめに ──昭和30年4月6日大法廷判決は見直されるべきである──

「上告趣意書 第1点 第1 憲法36条違反」において、昭和30年4月6日大法廷判決は見直されるべきであると論じた。本補充書において、絞首刑に関する当時の法医学的見解に誤りがあったこと、及び当時論じられなかった絞首刑の問題点が存在することから、昭和30年4月6日大法廷判決は見直されるべきであることを論ずる。

2 昭和30年4月6日大法廷判決とその背景

(1)昭和30年4月6日大法廷判決

すでに上告趣意書(11頁)で引用したが、昭和30年4月6日大法廷判決を再度引用する。

「現在各国において採用している死刑執行方法は、絞殺、斬殺、銃殺、電気殺、瓦斯殺等であるが、これらの比較考量において一長一短の批判があるけれども、現在わが国の採用している絞首方法が他の方法に比して特に人道上残虐であるとする理由は認められない。従って絞首刑は憲法三六条に違反するとの論旨は理由がない」。

この判決はいわゆる帝銀事件の大法廷判決で出されたものである。ところが、同法廷に提出された上告趣意書を判例集で確認しても、「絞首刑は憲法第三六条違反である」(刑集9巻4号681頁)とただこれだけの主張が記載されているにすぎない。いかなる経緯で上記の判断がなされたのか判然としない。

(2)昭和30年4月6日大法廷判決当時の絞首刑に関する法医学的見解

上記の疑問について、半世紀以上前の向江璋悦弁護士(1910-1980)の著書「死刑廃止論の研究」(法学書院 1960年)に示唆に富んだ記述がある。なお、同弁護士は、1937年から1946年まで検察官に任官した経歴を有する。以下、同書籍の内容を参考にしつつ論述する。

1950年、同弁護士は松下今朝敏他2名に対する強盗殺人事件(以下「松下事件」と記す)の控訴審弁護人となり、絞首刑は憲法36条にいう残虐な刑罰であると主張した。これに関連して、東京高裁は3名の鑑定人を採用した。刑法学者の滝川幸辰博士、同じく刑法学者の正木亮博士、および法医学者の古畑種基博士である(1951年8月2日、滝川・正木両博士は東京高裁による大阪拘置所刑場の検証に立ち会った)。

滝川博士は「わが国の絞首の執行方法は、私の見た執行場から推測すると、特に残虐な刑罰ということはできない。即ち憲法第三六条の違反ではなかろう」とした(1951年9月30日付鑑定書)。

正木博士は、大阪拘置所の検証の他、検察官としてわが国の絞首刑に立ち会った経験、死刑執行方法の歴史的変遷、各国の先例・現状などから、「日本刑法第十一条所定の死刑は残虐なる刑罰であ」り、「日本刑法第十一条所定の絞首刑は刑事学上現存する諸国の死刑執行方法に比し最も残虐なる刑罰である」との結論を出した(1952年1月4日付鑑定書)。

古畑博士は法医学者としての立場から1928年に執筆されたシュワルツアッヘル博士(1952年当時ウィーン大学の法医学教授)の論文を引用して「頸部に索条をかけて、体重をもって懸垂すると、(中略)左右頸動脈と両椎骨動脈を完全に圧塞することができる」とし、縊死を試みた者や絞首された者は「体重が頸部に作用した瞬間に人事不省に陥り全く意識を失う。それ故に定型的縊死は最も苦痛のない安楽な死に方であるということは、法医学上の常識となっているのである」と述べた。つまり絞首された者は即座に意識を失って苦痛を感じないとした。その上で、「法医学上から見ると、以上述べた五種の死刑執行方法(銃殺、斬殺、電気殺、ガス殺、および絞殺 弁護人注)の内、死刑囚をして苦痛を感じせしめることが少なく且つ瞬間的に死亡するものとして、青酸ガスによる方法と縊死による方法が一番よいものであると考えられる」「現在我国に行われている絞首刑は医学上の見地より、現在他国に行われている死刑執行方法と比較して残虐であるということはない」とした(1952年10月27日)。

向江弁護士の主張やこれらの鑑定内容は、当時新聞に報道され、一定の関心を集めたようである(例えば、〈朝日新聞〉1950年6月23日、1952年1月16日、同2月2日、および1953年1月19日)。

一方で、1951年9月29日に帝銀事件の控訴審判決が出た。帝銀事件の上告審弁護人は、向江弁護士の主張を参考にして、「絞首刑は憲法第三六条違反である」と文字通りこれだけを上告趣意書で主張した。向江弁護士によると、帝銀事件弁護人は「私のこの主張を形式的に捉えた」としている。松下事件の審理で3名の鑑定人の証人尋問が終了したが、同裁判は裁判長の交代があって、審理が延びた。1955年4月6日、絞首刑違憲について不十分な主張・立証しかなされないままに帝銀事件の大法廷判決が先に出された。次いで同年12月19日、東京高裁は、松下事件の控訴審判決で、この大法廷判決に言及して、絞首刑違憲論を退けたのである。

ところで、上記に述べた経緯や内容からして、古畑博士の鑑定が帝銀事件の大法廷絞首刑合憲判決に与えた影響は大きかったと考えられる。

科学技術振興機構が提供するデータベースJMEDPlusは、1981年以降、主に日本国内で発表された医学やその関連分野の文献情報のほとんどを収録している。2011年1月5日時点でその登録総数は5,680,899件であった。しかし、絞首刑に関する論文を検索したところ、絞首刑そのものを対象とした研究論文は皆無であった。それ以前の医学論文を1945年まで渉猟しても、絞首刑を対象とした論文をほとんど発見することが出来なかった。わずかに古畑博士が、前述の鑑定とほぼ同内容を〈法律のひろば〉(6巻6号 1953年)及び〈科学朝日〉(1955年6月号)に執筆し、1959年に同趣旨の鑑定を行なったのを発見したのみであった。つまり、わが国において絞首刑に関する法医学的研究ないし論考は同博士以降ほぼ存在していないと考えられる。しかも唯一存在する同博士の鑑定が半世紀以上前で、同博士が引用している文献は80年以上前の文献である。現在の水準から見て同博士の意見がどの程度妥当なものかはこれらの事実だけからしても疑わしい。

また、古畑博士の意見の影響か否かは判然としないが、その述べた内容と同趣旨の内容がしばしば語られている。死刑囚は、絞首刑で即座に意識を失うから、苦痛を感じないという説である。これは真実なのであろうか。

3 昭和30年4月6日大法廷判決当時の法医学的見解に対する批判

(1)ラブル博士への質問

弁護人は、絞首刑の残虐性について、ヴァルテル・ラブル博士に質問を行なった。弁護人が同博士を知ったのは、上告趣意書(5~6頁)で引用した同博士の論文によってであった。同博士は現在インスブルック医科大学法医学研究所副所長でオーストリア法医学会会長でもある。弁護人は現在まで2回同博士に質問書を送付し、それに対して同博士はその都度回答書を返信した。弁護人と同博士の問答を順不同で補足を交えつつ以下に紹介する。右寄せの部分がその問答で、同博士の回答は太字になっている。なお、質問・回答とも原文は英語である。

(2)絞首刑の死因は単一でない

まず、そもそも絞首刑の死因はひとつだけなのかについての質問である。

質問4 貴殿は「絞首刑による死因の多様性」(〈放射線学〉196巻3号615頁)に言及されました。絞首刑においてあり得る死因を全て列挙して下さい。

– 頸部の動静脈の圧迫によって起こる窒息

– 咽頭の閉塞によって起こるゆっくりとした窒息(非対称的な絞扼の場合、1~2分間意識がある可能性がある)

– 頭部離断

– 延髄の圧迫を伴う椎骨骨折(まれ)

– 迷走神経損傷によって起こる急性心停止

絞首刑による死因は単一ではないということである。絞首刑に関してこの程度の共通認識さえ得られているか否か疑わしい。

(3)絞首刑で即死するとは限らない

リック・ジェームズら「絞首刑の刑死者における頸部骨折の頻度」(〈国際法科学〉54巻81~91頁1992年)によると、英国において、公開で絞首刑が行われていた間は瞬間的な死という主張はなかったが、1868年に公開処刑が廃止され、20世紀になると、政府の指示により「何事もなく死刑は執行され、ほぼ即死であった」との短い声明だけが出されるようになったとされる。

絞首刑で死刑を執行された者は「即死」するのだろうか。

質問5 絞首刑による死は「ほぼ瞬間的」としばしば言われます。それは真実でしょうか。回答の理由もお示し下さい。

絞首刑によって起こる死が「ほぼ瞬間的」であるのはごくわずかな例外――延髄が深刻な損傷を受けた時だけです。頸部の動脈(頸動脈および椎骨動脈)の完全閉塞の場合、意識失消までに5~8秒かかります。直後に心停止をきたすような迷走神経への強い刺激があった場合(まれ)には、意識がある時間は約10~12秒続きます。もし全ての頸部の動脈が圧迫されなければ(これはロープの非対称的な位置のために絞首刑において典型的です!!)、意識のある時間は2~3分に及んで続くかも知れません。

ラブル博士によると、絞首刑において即死はまれであり、意識が5~8秒、長ければ窒息しながら2~3分間意識が保たれる。

(4)苦痛はある

絞首された者の苦痛についてもラブル博士は述べている。以下に示す古畑博士の鑑定の概要を英訳してラブル博士に示した。

古畑博士はその鑑定書の中で死刑の執行方法を5つ列挙しました。彼は銃殺(「弾丸の貫通によって生ずる顕著なる損傷がみられる」)、斬殺(「頭と胴体がはなればなれになることと、大出血をきたすことによって、凄惨なる状態を現出する」)、電気殺(「今日では余り理想的な方法であるとは考えられていない」)、ガス殺(「瞬間的に死亡するから、最も苦痛を感ぜずに絶命するので、一番人道的な死刑方法であるといわれている」)について短く言及した後に、縊死について述べました。

彼は、1952年当時にウィーン大学教授であったシュワルツアッヘル教授の論文(〈ドイツ法医学雑誌〉11巻 145頁 1928年)に言及しました。古畑博士は、シュワルツアッヘル教授が同論文の中で「索条が左右相称に後上方に走っているときは、血管の内圧170ミリメートル水銀柱のときに、頚動脈を閉鎖するためには3.5キログラムの力を要し、両椎骨動脈を圧塞するためには16.6キログラムの力を要する」と言っていると述べました。そして、その後に古畑博士は「それ故、頸部に索条をかけて、体重をもって懸垂すると(縊死)、その体重が20キログラム以上あるときは左右の頚動脈と両椎骨動脈を完全に圧塞することができ体重が頸部に作用した瞬間に人事不省に陥り全く意識を失う。それ故定型的縊死は最も苦痛のない安楽な死に方であるということは、法医学上の常識になっているのである。但し頸部にかける索条が柔軟なる布片の類であるときと、麻縄やロープのような硬い性質のものである場合とでは、死亡するに至る状況に多少の差異を生ずる。柔軟な布片を用いることは、ロープや麻縄を用いる場合に比して、遙かに安楽に死に致らしめることができるのである。法医学上からみると、以上述べた5種の死刑執行方法の内、死刑囚をして苦痛を感ぜしめることが少なく且つ瞬間的に死亡するものとして、青酸ガスによる方法と縊死による方法が一番よいものであると考えられる。但し我国で死刑執行の方法として現在行われている方法が、この法医学上の原理を充分に理解して行っているものでないならば、その致死に理想的でないところがあるであろうと推察せられる。絞殺が最も理想的に行われるならば、屍体に損傷を生ぜしめず、且つ死刑囚に苦痛を与えることがなく(精神的苦痛は除く)且つ死後残虐観を残さない点に於て他の方法に優っているものと思う」と続けました。

そして彼は5つの方法それぞれで執行後から絶命に至るまでの時間について述べました。

古畑博士の意見の結論は以下の通りでした。「現在我国に行われている絞首刑は医学上の見地より、現在他国に行われている死刑執行方法と比較して残虐であるということはない。但しこの執行方法の細部に於ては、これを改善する余地はある。斬殺、瓦斯殺に就ては執行の直後に絶命するが絞殺の場合は、死刑執行の直後に意識を消失し、本人は何等苦痛を感じないが、心臓は尚微弱、不規則に10分乃至30分位は微かに搏動しておる。」(注 「粍」〈ミリメートル〉など難解な漢字の表記を改めた)

古畑博士の鑑定書が述べている要点は、シュワルツアッヘル博士の論文等によると絞首刑では首の動脈が即座に閉塞するので、「体重が頸部に作用した瞬間に人事不省に陥り全く意識を失う」縊死は「苦痛のない安楽な死に方である」という点にある。

質問12 現在の法医科学の見地から考察して、1928年にシュワルツアッヘル博士が行った上記の実験について、訂正すべき点や追加すべき点はありますか。もしありましたら御説明ください。

シュワルツアッヘルが記述した力の値は正確です。

質問13 現在の法医科学の見地から考察して、1952年に古畑博士が書いた上記の意見書について訂正すべき点や追加すべき点はありますか。もしありましたら御説明ください。

赤い文字にした原文中の文節(訳注 指摘の箇所は以下の引用中の下線部「それ故、頸部に索条をかけて、体重をもって懸垂すると(縊死)、その体重が二〇キログラム以上あるときは左右の頚動脈と両椎骨動脈を完全に圧塞することができ体重が頸部に作用した瞬間に人事不省に陥り全く意識を失う。それ故定型的縊死は最も苦痛のない安楽な死に方であるということは、法医学上の常識になっているのである。」)は明確に間違っています。たとえ仮に脳内の血液循環が直ちに停止したとしても、脳内には多量の酸素が──少なくとも数秒間は意識を保つのに十分なだけ残っているので、絞首刑において意識の消失が「瞬間に」起こることはありません。ロッセンらの実験を参照してください(ロッセン・R、カバット・H、アンダーソン・JP(1943年) 「ヒトにおける急性脳循環停止〈神経学と精神医学紀要〉50巻510~528頁)。著者は首の組織を圧迫するために、若い男性(111人)の首の周囲に血圧カフを使用しました。600ミリメートル水銀柱の圧力で、被験者は5秒から10秒で意識を失いました。その直後に全身のけいれんが起こりました。多くの者が性質と強度が異なる疼痛を訴えました。古畑博士は意識が保たれて苦痛のある時間を考慮しませんでした。ロッセンらの論文中で、被験者はある程度の激痛を口にしました。

ここでラブル博士が述べているロッセンらによる実験は、111人の被験者に対して、首の回りに血圧測定用に使用されるカフ(空気で膨らむ帯状の布)を巻きつけて行われた。特殊な装置を使用してカフの膨らみを調整することで、首の動脈の血流を瞬時に止めることが可能になった。この実験によって、首の血流が止まった被験者の意識はすぐには消失せず、5~10秒保たれることが証明された。また、身体をどこも傷付けていないのに被験者の一部は激しい痛みを訴えた。

古畑博士は、首の動脈の閉塞が必ず起こり、それにより絞首された者の意識は即座に失われるとしている。だが、そもそも同博士が根拠としているシュワルツアッヘル博士の実験は死体を用いたものである。意識の有無を判断できるはずもない。

一方、ラブル博士は、古畑博士の鑑定について事実上2つの誤りを指摘している。第1に、前掲の質問4と5で、絞首刑では首へのロープの掛け方が非対称であるために、首の動脈が完全に閉塞するとは限らないこと、及びその際には1~3分程度意識が持続する可能性があることを述べている。ラブル博士は、この点に関して、ノークスら「絞首刑の生体力学 事例報告」(〈法医科学〉39巻15号61~64頁)を引用している。同論文は、英国の公式の報告書中に、絞首刑で「意識が1分から2分続いた後の死」が報告されていると記載している。第2に質問12と13で、ラブル博士は、生きた人間を対象にしたロッセンらによる実験をもとに、動脈の閉塞が完全であっても5~8秒は意識があり、その間に痛みを感じ得るとも述べているのである。ラブル博士の述べる内容が古畑博士の述べる内容よりも妥当であることは明らかである。

4 昭和30年4月6日大法廷判決で検討されていない事項

(1)絞首刑の失敗

ところで、絞首刑には他の問題もある。例えば、首が完全に切断される頭部離断の問題や意識を保ったままのゆっくりとした窒息死など、「失敗」の問題である。これらの問題について、わが国で明確に系統立てて述べた文献は皆無である。弁護人らがコンピュータ、インターネット及び図書館機能の充実等を背景にして初めて調査・指摘し得たものである。上告趣意書ですでに指摘したように、訴訟記録中にこれらの指摘が全くなされていないことも合わせて考慮すると、これらの「失敗」について昭和30年4月6日大法廷判決が考慮しているとは考え難い。

ラブル博士に絞首刑で起こり得る「失敗」について質問した。

(2)頭部離断・ゆっくりとした窒息死

質問2 絞首刑において絞首された者の頭部離断(完全な離断および不完全な離断を含む)は起こり得るのでしょうか。仮にそうであれば、どのような条件の下で起こり得るのでしょうか。貴殿は頭部離断を伴う縊死に関してどんな調査・研究をなされましたか。その方法と結果を御説明下さい(ファイル番号1~7を添付しております〈注 日、豪、米、加、イラクおよび英国の絞首刑で首が切断された例を示す資料〉)。

起こり得ます。頭部離断の危険性はいくつかの要因に依存しています。ロープの長さ、ロープの柔軟性、絞首された者の体重、ロープの太さ、結び目の位置等……

首つり自殺による完全な頭部離断の1事例に基づいて、我々は完全な頭部離断に必要とされる力に関する生体力学的実験および計算を行いました。頸部の皮膚(150ニュートン毎センチメートル)、摘出したままの頸椎(1000ニュートン)および頸部の筋肉(例えば胸鎖乳突筋で──80ニュートン)の引っ張り強さを加算して、我々は頭部離断の限界値が約12000ニュートンであると理解しました。次に我々は体重およびロープの長さに依存する等力曲線を算出しました。ロープの弾性および輪縄が締まることによって生ずるロープの長さの延長は係数s(減速距離)として表現されました。論文は1995年に刊行されました(ラブルら「頭部離断を伴った縊死 事例報告 生体力学」〈犯罪学雑誌〉195巻31~37頁)。

上告趣意書補充書(1)で触れた小野澤おとわの頭部離断に関する〈読売新聞〉(1883年7月7日付)および〈東京絵入新聞〉(同日付)記事を示して質問した。

質問6 1883年7月6日の絞首刑執行中に不完全な頭部離断事故が発生したと報じた2つの新聞記事(参考資料1および2〈注 絞首刑で小野澤おとわの首が切断されたと報じる新聞記事〉)を添付しております。この事故の原因を推定して頂けますか。

新聞記事は絞首刑執行中の不完全な頭部離断の1事例を記述しています。この事故は長過ぎるロープ(落下の高さ)と死刑囚の高体重の組み合わせで起こったと最も考えられます。弾力性がないロープが固く結ばれていれば、それは促進要因となった可能性があります。

1935年、九州帝国大学医学部法医学教室助手であった石橋無事医師は、「死刑屍の法医学的観察(上)」「同(下)」と題する2編の論文を、〈犯罪学雑誌〉9巻4~5号に発表した。同論文によると、同教室は20数体の死刑屍を集めて解剖した。各死体はいずれも長崎監獄で絞首刑を執行された後、鉄路運搬されたものである。1926年に火災のため、同教室は標本及び記録の大半を焼失した。その後、石橋医師は記録が保存された11例、記録は失われたけれども保存標本で頸部の変化を窺い得るもの3例を集め、主として法医学的所見を報告した。

14例のうち頸部の所見が利用可能であったのは10例であった。石橋医師はその所見を以下のように記す(旧字体を新字体に改めるなどした)。

死刑屍の頸部臓器は一般縊死の場合と異り、広汎なる範囲に亙りて断裂せられ、甲状軟骨体及び其の上角並に舌骨大骨の骨折、筋内の離断及び出血、頸動脈内膜の裂傷若くは断裂、頸部脊椎の骨折等を認めた。之等の諸変化は絞頸と同時に重き身体が急激に落下した為め、頸部に作用した力が、普通の縊死に比して甚だしく強烈であった為に起ったものと推測せられる。

全14例のうち、第7例と第9例の頸部所見を以下に引用する。

第7例

頸部臓器を連結の儘、一斉に剔出して検するに、頸部臓器は皮下に於て全く破壊せられ、胸骨舌骨筋、甲状舌骨筋、中舌骨甲状靱帯は全部上下に離断せられ、喉頭も亦会厭の下部に於て上下に分たれて左右径6.0センチメートル、上下径2.5センチメートルを算する空洞を作る。甲状軟骨の上端は露出し、甲状軟骨上角及び舌骨大角は共に基部より骨折潰滅し、周囲の組織間出血があり、この高さに於て左右の頸動脈内膜に数個の長さ0.2センチメートル及至0.5センチメートルを算する横走せる裂傷があり、咽後結締織間には鳩卵大の組織間出血を認むる。

第9例

頸部臓器、舌は蒼白で歯痕があり、頸部臓器は甲状軟骨の上部で皮下組織を残して殆んど全く破断せられ、胸骨舌骨筋、肩胛舌骨筋、甲状舌骨筋、中舌骨甲状靱帯等は離断せられ、甲状軟骨は上切痕から下方に向って破碎し、左右径6.0センチメートル、上下径2.5センチメートル、前後径4.0センチメートルの空洞を形成する。左右の胸鎖乳様筋の上部に約扁桃大の筋肉間出血があり、咽後結締織間に約手拳大の組織間凝血を認むる。

これらの解剖所見は頭部離断に近い状態が発生していることを示している。

この他、意識を保ったままのゆっくりとした窒息死についてもラブル博士に問い合わせた。

質問3 英国の「死刑に関する英国審議会(1949~1953)」は「受刑者は過度に短い落下距離を落とされゆっくりと窒息して死亡する可能性があった」(参考資料7)と報告しました。絞首刑において絞首された者が意識を保ったままでゆっくりと窒息死することは起こり得るのでしょうか。

起こり得ます。

(3)現在の東京拘置所での頭部離断・ゆっくりとした窒息死

以上は絞首刑一般や過去のわが国の例であるが、現在のわが国、特に比較的情報があり、被告人が収容されている東京拘置所の刑場で、このような事故が起こる恐れがないのかについて、質問をした。なお、質問中の「落下表」とは、上告趣意書(7頁)で述べた、絞首刑を執行するにあたって、受刑者の体重に応じて同人を落下させる距離を決定し、ロープの長さを調整するための表である。

質問7 仮に法律(参考資料8〈注 刑法11条1項および刑事収容法179条〉)および布告(参考資料9)に基づいて、約4メートルの踏み板の高さがある現在の日本の刑場で絞首刑が執行されるとして、頭部離断やゆっくりとした窒息死の可能性がありますか。日本の絞首刑における頭部離断や意識を保ったままのゆっくりとした窒息死の危険性は落下表を使用している国と同じでしょうか。回答の理由を御説明下さい。

もちろん日本のこの前提下では、頭部離断もしくは意識を保ったままのゆっくりとした窒息死の高い危険性が存在するでしょう。「正確な」落下表なるものがあるとすれば、それは一方で頭部離断の危険性を減らすかも知れませんが、他方でより低い落下の高さ(ロープの長さ)は意識を保ったままのゆっくりとした窒息死の危険性を増します。落下の高さと体重以外にも、絞首刑による損傷のパターンに影響するいくつかの重要な要因があります。例えば、ロープの力学的な特性、解剖学的差異、結び目の種類…… 落下の長さが、予想通りの、もしくは一定の結果をもたらすことはないと既に示されています(レイら「絞首刑で発生した損傷」〈米国法医病理学雑誌〉15巻183~186頁1994年)

質問17 これは質問7に対する貴殿の回答の確認です。貴殿は「『正確な』落下表なるものがあるとすれば、それは一方で頭部離断の危険性を減らすかも知れませんが、他方でより低い落下の高さ(ロープの長さ)は意識を保ったままのゆっくりとした窒息死の危険性を増やします」と述べられました。貴殿の言わんとするところは、正確な落下表なるものがあるとすれば、それは一方でより低い落下距離を導き出す可能性があるので頭部離断の危険性を減らすかも知れないが、他方で意識を保ったままのゆっくりとした窒息死の発生は落下の高さとは無関係であるので、より低い落下の高さ(ロープの長さ)は意識を保ったままのゆっくりとした窒息死の危険性を相対的に増やすという事でしょうか。

はい。

ラブル博士の言わんとするところは、意識を保ったままのゆっくりとした窒息死は常に起こり得るが、落下距離が短いと頭部離断が起こらないので、意識を保ったままのゆっくりとした窒息死が相対的に増えるということである。

上記の質問の際に示すことができなかったので、2010年8月27日に公開された東京拘置所の刑場の写真を示して再度質問した。

質問14 私共は、貴殿の論文から、仮に、絞首刑において、踏み板の高さが低く、細くて硬い針金のような索状物を使用しないとすると、頸部に負荷される落下エネルギーの不足のために頭部離断は発生し難いと理解しています。これは正しいでしょうか。

はい。

質問15 東京拘置所の踏板の高さ4メートルは頭部離断を起こし得る限界の力12000ニュートンを発生させるのに十分な高さでしょうか。(以下略)

はい。我々の論文の図5から御理解いただけると思いますが、頭部離断はたとえ4メートルより低い高さからの落下であっても起こり得ます。決定的な要因は減速距離(係数s)です。

確かにラブル博士の論文の図5(後掲)のグラフによると、減速距離が0.2mの場合には、4m以下の落下距離で頭部離断が起こりうることが分かる。また、上告趣意書(5~6頁)で引用したラブル博士の論文によると、4m以下の落下距離で頭部離断が実際に起こっている。

質問16 写真を精査して頂いた後で、わが国の絞首刑に頭部離断や意識を保ったままのゆっくりとした窒息死の危険性の高い危険性が存在するという貴殿の御意見(質問7に対する回答)を変更されますか。

いいえ。お分かりの通り、日本における刑場の状況からすると、落下の高さは最低でも4メートルはあります。

(4)頭部離断やゆっくりとした窒息死を防ぐ方法はあるか

死刑執行方法の改良によって頭部離断や意識を保ったままのゆっくりとした窒息死を防止できるか否かについて質問した。

質問8 100キログラムもしくはそれ以上の体重のある(私共の依頼人のような)受刑者の絞首刑における頭部離断と意識を保ったままのゆっくりとした窒息死の危険性は、69.1キログラム(2005年の40~49歳日本人男性の平均体重)の男性と同じでしょうか。貴殿は100キログラムを超過する体重の受刑者全員に対して「適切な」落下距離を与えることができるとお考えでしょうか(参考資料11〈重い体重の死刑囚の絞首刑で、首の切断の可能性を認めた米国の判決〉および12〈米軍の死刑執行マニュアル〉)。回答の理由を御説明下さい。

体重だけからは「適切な」落下距離を算出できる可能性はありません。発生する力の程度と方向に影響する他の要因がいくつか他にあります。仮に正確な力を計算することができたとしても、この力が特定の個人に対してどのような効果をおよぼすかは予想することはできません。ノークスらは1999年に、頭部離断、脊髄切断による迅速な意識消失、および一定時間明瞭な意識があった後の死の間には明確な境界点がないと述べました(ノークスら「絞首刑の生体力学 事例報告」〈法医科学〉39巻61~64頁1999年)。

質問9 落下表の正式な採用もしくは他の科学的な改良によって日本の絞首刑から頭部離断や意識を保ったままのゆっくりとした窒息死の危険性を同時になくすことは可能とお考えですか。回答の理由を御説明下さい。

落下表が正式に採用されても頭部離断や意識を保ったままのゆっくりとした窒息死の危険性を減らすことはできません。なぜならそのような表は損傷のパターンを決める全ての要素を取り込むことができないからです。

つまり、ラブル博士によれば、落下表などを使用するなどして絞首刑の執行方法を変更しても、事故、すなわち、頭部離断や意識を保ったままのゆっくりとした窒息死の可能性は消えない。その理由は、同博士によると、絞首刑の結果について科学的な予想が不可能だからである。同博士が引用するノークスらの論文によると、英国の絞首刑で、頭部離断による死、迅速な意識消失の後の死、及び一定時間意識が保たれた後の死が、ほぼ同じ大きさの落下エネルギーで発生している。これは、同じ大きさの落下エネルギーであっても、実際に受刑者の首にかかる力は様々な要因によって異なるためである。一方で、落下表等を使用しても、落下エネルギーを算出することが可能なだけで、実際に受刑者の首にかかる力を正確に予測することは不可能である。ラブル博士の回答は以上の内容を述べている。

(5)絞首刑の残虐性はどこにあるか

全体として絞首刑の残虐性はどこにあるのか質問した。

質問10 もしあれば、貴殿がお考えになる絞首刑の残虐性を御説明いただけますか。それを銃殺刑および致死薬物注射の残虐性と比較して頂けますか。

(冒頭略)特定の個人に対する影響を予見し得る科学的な可能性がないので、絞首刑は残虐な行為の極端な実例です。絞首刑の多くの場合、死は瞬間的ではなく、一定の時間意識があった後に起こり、したがって、死刑を執行される者に不必要な苦痛と傷害が起こります。

つまり、ラブル博士は、銃殺刑や致死薬物注射と比較して、絞首刑の結果は予想できない点、一定の時間意識があり、その間に不必要な苦痛や傷害があった後に死亡する点が残虐であると述べている。

(6)ロープの切断・ロープからの滑脱

絞首刑の場合、死刑囚を垂下した際に、ロープが切れる、死刑囚がロープから外れるなどの「失敗」も存在する。

これらの事態が起こった場合、再度の絞首が行われるという問題が出てくる。その実例が下記のとおり報告されている(いずれも旧字体を新字体に改めるなどした)。

京都監獄に当時勤務していた木名瀬礼助看守が執筆した論文「刑法改正案に就ての所感」(〈監獄協会雑誌〉20巻2号127~135頁)から、ロープが切れた例をあげる。

死刑を執行するに当り、余輩指揮監督の地位に立ち、部下の執行者に現場に於て殺事を為さしめたるときの感相たるや、如何に職務なりと雖(いえど)も、指揮者の下斑にあるもの顔色蒼然として寧ろ受刑者より反て執行者が軟弱なる状ありし。併(しか)し余輩ももとより此の惨刑執行の現場に於ては惻隠同情の発動を旺ならしめ堪えざる者ありしと雖も、此の場合弱気を示すことを許さず、自から進で剛胆を鼓舞して、虚勢を張り、絞首台の上下周囲に指揮監督し予期の如く絞首せしめ、刑者の踏台を外し、台下に落ると同時に何ぞ図らん絞縄(こうじょう)、中間に於て切断し、刑者は地下に落倒せり。此の意外の出来に際し、執行吏は勿論、立会官も共に一時呆然として為す所を知らずと雖も、此の間髪を容れざる臨機に処し一刻一秒時も躊躇すべき場合にあらざるを以て余輩奮然自ずから其現場に飛込み刑者に残存する切断絞縄を締め、一面台上に結い付け、更に釣揚げ、漸く執行を結了せり。嗚呼、此の間に於ける無惨残酷、今更之を語るも転(うた)た戦慄の思あらしむ。

〈読売新聞〉記事(1893年8月1日付)から、ロープが外れた例をあげる。1893年7月27日、東京市ヶ谷監獄署で、死刑を執行された長島高之助である。

土用の丑の日、鰻屋死刑に就く 去る二十七日市ヶ谷監獄署に於て死刑に処せられし内藤新宿の二人斬凶行者、同地三丁目八番地竹虎方雇人(やといにん)鰻裂き長島高之助は、当日裁判所に引出(ひきい)だされて死刑の宣告を受け、同人は頻(しき)りに愁傷の体なりしが、ややありていいける様、死期際(いまわ)にのぞみ申上度(もうしあげた)き一大事の候えば死刑三日間の御猶予を願うと声を放ちて涕泣し其の場を一寸も動かざるにぞ、看守等引き立てて刑場に引据えたるに、如何にしけん絞罪機の一度ならず二度までも外れて罪人地上に落ちたるはいまだ例(ためし)なきのみならず、別に日もあるべきに土用の丑の日に鰻裂きの男が死刑を受くるとは奇怪のことよと白髪の看守は呟きぬ。

5 結論

絞首刑が「理想的」に行なわれても、絞首された者の意識は一定の時間保たれ、同人にその間不必要な苦痛と傷害が起こる。しかも、いくら慎重を期しても、「理想的」に絞首刑を執行できるとは限らない。頭部離断や1~3分間意識を保ったままのゆっくりとした窒息死が発生し得る。絞首刑の結果は科学的な予測が不可能で、それに対する対応が困難だからである。これらの点において、絞首刑は銃殺や致死薬物注射と比較して残虐である。ラブル博士の回答書等はそのことを明らかにした。

昭和30年4月6日大法廷判決はこれらの事実に基づいて見直されるべきである。また、わが国の死刑の執行方法が絞首に限定されている事実を考慮すれば、死刑そのものは憲法36条に違反しないとした昭和23年3月12日大法廷判決も見直されるべきである。

以上、わが国の死刑が憲法36条に違反するとの「上告趣意書 第1点」の内容を補足した。

原判決は刑事訴訟法410条1項により破棄されるべきである。

以 上


参考資料

以下の内容は、上告趣意書補充書(2)の中に元々含まれていませんが、参考までにここに掲載します。

ラブル博士が作成した図です。死刑囚を落とす距離を縦軸、死刑囚の体重を横軸にとってあります。死刑囚の首が完全に切り離されるためには、12000ニュートンの力が必要ですが、その力を生むための落下距離と体重がグラフになっています。4種類のロープについて曲線が描かれています。減速距離sは、日本の絞首刑の場合、ロープの伸びと等しくなります。1番上の曲線は、ロープの材質が伸び縮みしやすいものである場合のグラフです。このようにロープが0.8メートル伸びるような弾力性の高い素材で作られていると、バンジージャンプのようになり、死刑囚の首は切断されにくくなります。一方でロープの材質が伸び縮みしにくいもので、例えば1番下の曲線のようにロープが0.2メートルしか伸びないような弾力性の低いものだと、死刑囚の首は、4メートル以下の落下距離でも完全に切断される可能性があります。

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