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上告趣意書補充書(3)

1 はじめに ──昭和30年4月6日大法廷判決の見直しを重ねて求める──

「上告趣意書 第1点 第1 憲法36条違反」において、昭和30年4月6日大法廷判決は見直されるべきであると論じた。上告趣意書補充書(2)では、絞首刑に関する同判決当時の法医学的見解に誤りがあったこと、及び同判決当時に論じられていなかった絞首刑の問題点が存在することを明らかにした。その上で、同判決は見直されるべきであることを補足した。本補充書においても同様の観点からさらなる補足を行なう。

2 古畑博士及びラブル博士の意見

すでに上告趣意書補充書(2)で記載した内容であるが、絞首刑について、1952年に古畑博士が鑑定書で述べた意見、及び2010年と2011年にラブル博士が述べた意見について簡単にまとめる。

古畑博士の意見は以下のとおりである。

シュワルツアッヘル博士の死体を用いた実験によると、絞首刑において、絞首された者の首の動脈は即座に閉塞する。したがって同人は即時に意識を失うから苦痛を感じない。この点において絞首刑は他の死刑執行方法に優っている。

これは、昭和30年4月6日大法廷判決当時のわが国の法医学の水準において、代表的な見解であったと考えられる。また、現在でも同様の見方がある。

一方で、絞首刑に関するラブル博士の意見は以下のとおりである。

絞首刑において、仮に首の動脈がすぐに閉塞しても、ロッセン医師らによる実験によれば、絞首された者は、5~8秒間意識を失わず、その間に疼痛を感ずる。この点で古畑博士の意見は完全に間違っている。また、それ以前に、絞首刑においてはロープが非対称であるために、首の動脈が即座に閉塞するとは限らない。その際には、絞首された者は2~3分間かけて意識を保ったままゆっくりと窒息死する可能性がある。さらに、頭部離断の可能性もある。意識を保ったままのゆっくりとした窒息死や頭部離断が起こるか否かは、ノークス博士らによると、科学的な予想が不可能である。したがって、それらを防ぐことも困難である。これらの点において、絞首刑は銃殺や致死薬物注射と比較して残虐である。

古畑博士の意見よりも、ラブル博士の意見がより妥当であることは明らかであるが、さらに弁護人はラブル博士に対して3回目の求意見を行なった。同博士はそれに対して回答書を返送した。回答書は、弁護人からの質問をひとつずつ引用してそれに回答する形式である。個別の質問項目以外に、弁護人が質問の前提として記載した文章に対する注記も行なわれている。回答書の抜粋を右寄せにして、次項以下、順不同で紹介する。同博士の回答・注記は太字になっている。なお、原文は全て英語である。

3 昭和30年4月6日大法廷判決当時の法医学的見解に対する批判の補充

(1)意識は一定時間持続する

絞首された者の首の血流について、ラブル博士はすでに質問4と5で回答しているが、古畑博士の意見を再度示して質問した。

質問20 古畑博士の意見は、体重が20キログラムを越える全ての受刑者の絞首刑において、頸部の動脈の血流が完全にかつ瞬間的に停止するという前提に基づいていると思われます。現在の法医科学の見地からして、この前提は、ロープが非対称に置かれた場合でも正しいでしょうか。回答の理由を御説明下さい。もし、この問題に関する論文を御存知ならばご紹介下さい。

非対称なロープの位置(最高点が耳の前──非定型縊頸)の場合、最高点の側の動脈(頸動脈及び椎骨動脈)は多くの場合閉鎖しません──これは結膜や口腔粘膜等の点状出血を伴ったうっ血症候群、及びより長い意識の持続をもたらします。しかし、仮に頸部の動脈が速やかに閉塞されても──脳に貯められた酸素が数秒間(5~8秒)の意識の持続を可能にします。

古畑博士が、その鑑定の根拠としたシュワルツアッヘル博士の論文は、ドイツ語で記述されている。その内容は、浅田一著「首つりと窒息死」で引用されている。それによると、シュワルツアッヘル博士の実験が絞首された者の意識の有無を判断するには不十分であることは明らかであるが、念のため、ドイツ語を母語とするラブル博士にその内容を確認した。

質問23 これは古畑博士が鑑定書の中で引用したシュワルツアッヘル博士の論文に関する確認です。シュワルツアッヘル博士は死体の喉へロープを対称にあてて首の血管を完全に閉塞するための力を測定しました。彼は非対称なロープの位置での実験や首の血管が完全に閉塞した者の意識についての実験は行いませんでした。

これは正しいですか。もし私共の理解が誤っていたら、説明と訂正をお願いいたします。

この論文においてシュワルツアッヘルは他のロープの位置についても言及しています。しかし単に言及しただけです。また(ロープの最高点が首にある)定型縊頸において動脈の血流を止めるための最低の力について言及しています。

ラブル博士が、首の動脈が閉塞しても5~8秒間は意識が保たれるとする根拠は、ロッセン医師らが執筆した論文である。同論文は現在も様々な分野で引用されている。何故信用されているのか質問した。

質問26 私共はロッセン医師らの論文(1943年)は多くの論文で引用されていると理解しています。同論文の信頼性はどこに由来すると貴殿はお考えですか。法医科学者の視点から御回答下さい。

ロッセンは彼の実験を生きた(!!)若い男性で行ないました。このことが同論文を類のないものとしました──他の著者が観察したり実験したのは死体についてです。

生きた被験者を用いていることから、首の血流が止まった者の意識の有無を論ずるにあたって、ロッセン医師らの論文を超えるものがないことは明らかである。

(2)首への損傷に由来する疼痛が存在する

ラブル博士は、絞首された者の疼痛について、ロッセン医師らの論文を引用している。ロッセン医師らは、被験者の疼痛が、手・腕・頭・顔でしばしば見られ、下肢・背中・胸・腹でも観察され、多くの被験者で全身に見られたと述べている。

質問27 これはロッセン医師らの論文についての確認です。被験者は脳への血液を停止しただけで疼痛を感じました。これは正しいですか。

これらの人々の疼痛が頸部に加わった力によって起こるはずがありません。疼痛の感覚は頸部臓器と脳の循環不全で説明できます(おそらく脳の腫脹と頭痛を伴っています)。

上記によると、単に絞首して首の血液を止めただけで、絞首された者は、全身の様々な部位に疼痛を感じる。

ところで、弁護人は石橋無事医師の論文「死刑屍の法医学的観察(上)」及び「同(下)」について各事例の頸部臓器等の所見、及び下記の内容を英訳してラブル博士に示した(それぞれ参考資料14、質問中に記載)。

1935年、石橋無事医師(医学士、九州帝国大学医学部法医学教室助手)は「死刑屍の法医学的観察 (上)」及び「同(下)」(〈犯罪学雑誌〉9巻540~547、660~666頁 1935年 日本語で記述され、書誌情報のみはドイツ語でも提供された。日本で出版)という2つの論文を執筆しました。

同医師は、その論文で、同教室で剖検が行われた14例の絞首刑死体の法医学的所見を報告しました。彼はこの報告を死体の解剖記録11例(事例1~11)と保存された頸部臓器所見3例(事例12~14)から作成しました。私共は各事例の所見を抽出し、参考資料14として添付いたしました。

同医師はその中の10例(事例2、3、7~14)で頸部の所見を得ることができました。

1例(事例2)では、頸部に著変はありませんでした。9例(事例3、7~14)では、頸部の臓器は広汎に離断されていました。軟骨の骨折、筋肉・靭帯・血管の断裂、著明な出血、及び空洞の形成が存在しました。第2頸椎の骨折は2例(事例10、14)で見られました。2重の索痕が2例(事例7、10)に認められました。

彼の結論は、以下のとおりでした。

絞首刑において、これらの諸変化は絞頸と同時に重い身体が急激に落下したため、頸部に作用した力が、普通の(絞首刑ではない)縊死に比して甚だしく強烈であったために起こったものと推測できる。

上記のとおり、石橋医師の論文によると、絞首刑死体の頸部臓器は、頸椎骨折の頻度は少ないものの、軟骨の骨折、気管・筋肉・血管の断裂、出血あるいは空洞が形成される等の深刻な損傷を受けている。この点について、ラブル博士に質問した。

質問18 石橋医師の報告は脊椎骨を除く首の臓器が、絞首刑の落下の衝撃で簡単に損傷したことを示唆しているように思われます。首の臓器の引っ張り強さに関する貴殿の研究から同医師の結果を御説明ください。

我々の結果は、これらの観察結果と一致しています。胸鎖乳突筋を離断するための平均的な力は80ニュートン、首の皮膚は1センチメートル当たり150ニュートン、そして頸椎の分離(骨折は無し)には1000ニュートンの離断力が必要でした。

質問19 貴殿は、質問5への回答で、まれな例を除き、絞首刑で絞首された者の意識は最低でも5~8秒保たれると述べられました。絞首された者は、意識のある間に、上記の首の損傷による疼痛を感じるのでしょうか。

このような損傷は絞首された者に深刻な疼痛をもたらします。

以上から絞首刑において、頸椎を除く頸部の臓器は容易に損傷し、それに由来する疼痛を受刑者は経験することが明らかである。

ところで、首の骨が折れるため死刑を執行された者は即死すると、しばしば語られる。この点について、ラブル博士に質問した。

絞首刑において、受刑者が迅速に死亡するように、落下距離やロープの結び目の位置を調整して首の骨折を起こそうとしているとしばしば言われます。しかし、石橋医師の結果は骨折の頻度が低いことを示唆し、それはジェームズら(〈国際法医科学〉54巻81~91頁)の記載とも一致しているように思われます。

そのとおりです──これは法医学において認知され、かつ広く受け入れられている事実です。この文脈で言及されなければならないのは、脊椎骨が骨折しても迅速な意識消失を起こさない事です。骨折した脊椎骨の一部が移動して延髄を傷付けなければなりません。第2頸椎の椎骨体の骨折(事例10)、もしくは第2頸椎の左右上関節面の不完全骨折(事例14)は、本来、意識の消失を起こしません!!

質問21 絞首刑において脊椎の骨折を起こす法医学的もしくは生体力学的な条件をご説明下さい。仮に意図したとしても、その条件を実現するのは難しいのでしょうか。もしそうならば、それはなぜ難しいか御回答下さい。

脊椎の骨折は、脊椎骨の生体力学的な限界を越える力によって起こります。これは圧迫(縊死ではあり得ない)、過伸展、過屈曲、過大な側方への運動、もしくは捻転(あり得ない)によって達成されます。非対称なロープの位置は、骨折が起こる可能性を増大しますが、骨折や、まして延髄の損傷を保障しません。

質問22 貴殿は質問4と5に対して、(「ほぼ瞬間的」な死をもたらす)延髄の圧迫を伴う頸椎の骨折はまれであると回答されました。貴殿は石橋医師の報告で頸椎の骨折の割合が低かったことは、貴殿の回答を裏付けるとお考えになりますか。

はい。骨折はまれで、さらに延髄の損傷は極めてまれです。

以上から、死刑を執行される者の頸椎を意図的に骨折させることは困難であり、仮に頸椎の骨折があっても、絞首された者の意識の消失は直ちに起こらないことが明らかである。

4 昭和30年4月6日大法廷判決で検討されていない事項の補充

(1)ロープが喉以外にかかる

絞首刑の失敗例について、書籍に記載された、絞縄が顎にかかって受刑者が死亡しなかった事例について、ラブル博士に質問した。

1997年に元刑務官の坂本敏夫氏が書いた「元刑務官が語る刑務所」(三一書房、32~33頁 日本語)を引用します(原典の明らかな誤植を訂正しました 訳注)。引用の中で同氏は刑務官時代を回想しています。

(50歳を過ぎた老練の刑務官が坂本氏に話しかけています 弁護人注)

「わしは2回死刑を執行している。2回目の時、新米の看守長が死刑囚の首にロープを掛ける役だった。顔面蒼白で手足を震わせていた。こりゃまずいと思ったのだが、踏み板を落とせという指示が出た。ハンドルが引かれて死刑囚は落ちたがロープが顎に掛かっていて絶命しない。所長も検事も皆、声も出ないほどうろたえていた・・・・」

老刑務官は天を仰ぎ声を詰まらせた。

「わしがな・・・・楽にしてやったんだ」

器械で死ねずに苦しんでいた死刑囚を殺してやったということだった(ここに言う「器械」とは、同一書籍の他の記載から、明治6年太政官布告65号所定の絞罪器械すなわち絞首台を指す 訳注)。

恐ろしく、しかし不幸な事に現実味のある内容です。

質問24 仮に、絞首刑で輪縄が上記の事例のように喉に当たっていなかったとすると、絞首された者の意識はどの位の時間保たれるか推定して頂けますか。輪縄が顔にかかっているような絞首刑の執行で受刑者は死ぬのでしょうか。回答の理由もご説明下さい。

これは絞首の際の、正確な輪縄の位置と絞首の間の頭部の動きによります。もし頸部の動脈が圧迫されていなければ──意識の消失は起こりません。

質問25 坂本氏は新人の刑務官が輪縄の位置を間違えたことを示唆しています。

それとは違って、落下の前に「適切な」位置にあった輪縄が、落下の衝撃や解剖学的な個人差の一方もしくは両方によって、落下の後に「不適切な」位置に移動することはあり得るでしょうか。(参考資料16、輪縄が首から外れた事例を添付しております)。

仮に直径が大き過ぎるならば、輪縄は「動き」得るので、こういうこともあり得るでしょう。

(2)絞縄を皮で被っても絞首刑の問題は解決しない

向江璋悦弁護士の「死刑廃止論の研究」(513~514頁)等によれば、わが国の絞首刑では直径2センチメートルの麻のロープを革で被って使用している。この使用によって絞首刑の結果に変化があるか否か、ラブル博士に質問した(①~④の番号は、原文の質問では(1)~(4)、原文の回答では1~4と表記されている)。

質問28 麻の輪縄を皮で被うことにより、受刑者において以下が起こる可能性は少なくなるでしょうか。

①皮膚への損傷。
②皮下の頸部臓器への損傷。
③頭部離断。
④意識を保ったままのゆっくりとした窒息死。

回答の理由も御説明下さい。

皮で被うことによって、より表面が滑らかなので、表皮剥落が起こる可能性のみは小さくなるでしょう。そのように被うことで力それ自体は減らないので、②、③及び④が起こる可能性は変わりません。

5 結論

絞首刑が「理想的」に執行されても、受刑者の頸部臓器は深刻な損傷を受ける一方で、同人の意識が一定の時間保たれる。絞首された者は即座に意識を消失するから何ら苦痛を感じないとする古畑博士の意見は全く誤りである。また、絞首刑において、受刑者の頸椎を意図的に骨折させる事は困難である上、仮に骨折が発生しても、同人の意識が消失するとは限らない。絞首刑で頸椎が骨折するから受刑者は瞬間的に死亡するとしばしば語られるが、それも誤りである。しかも、ロープが喉にかからず、受刑者が意識を保ったままゆっくりと窒息する事例も起こり得る。絞縄を皮で被っても、頸部臓器の損傷・頭部離断・意識を保ったままのゆっくりとした窒息死の発生頻度は変わらない。ラブル博士の3回目の回答書等はこれらの事実を明らかにした。

昭和30年4月6日大法廷判決はこれらの事実に基づいて見直されるべきである。また、わが国の死刑の執行方法が絞首に限定されている事実を考慮すれば、死刑そのものは憲法36条に違反しないとした昭和23年3月12日大法廷判決も見直されるべきである。

以上、わが国の死刑が憲法36条に違反するとの「上告趣意書 第1点」の内容を補足した。

原判決は刑事訴訟法410条1項により破棄されるべきである。

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