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法医学者の論文:絞首刑遺体の解剖結果

石橋無事医師の論文

これは、九州帝国大学医学部法医学教室に所属する石橋無事医師が書いた論文からの抜粋です。この論文によると、絞首刑で死亡した死刑囚の首の内部は激しく傷付いていることが分かります。なお、表記を新字体・現代仮名遣いに改めるなどしました。また、死刑囚の氏名と執行日は、官報の記載をもとに新たに加筆修正しました。

《引用開始》

「死刑屍の法医学的研究(上)」「同(下)」

石橋無事〈犯罪学雑誌〉9巻540~547、660~666頁

(冒頭略)

かつて我が教室に於ては刑事人類学研究の目的で20数体の死刑屍を集めて解剖せられたが、大正十四年祝融の災に遭った為め、標本並に検査記録の大半を焼失した。其の刑事人類学的事項に就ては先に平光(4)(5)池田(6)左座(5)(11)の諸氏によりて報告せられたから、余は記録のようやく完全保存せられたもの11例及び記録は失われたけれども保存標本によりて頸部の変化を窺い得るもの3例を集め、主として法医学的所見を整理補綴して縊死体所見の補遺とし、ここに之を報告する。

注意、各死体は何れも股動脈内に防腐剤を注入して、長崎監獄から鉄路運搬せられたものである。

検査記録摘要

第1例、奥田安吉、当46歳、死亡大正6年4月16日、解剖検査同年同月19日。

1男屍、身長179.0センチメートル、体重58.3キログラム、体格栄養共に佳良、皮膚の色は一般に汚穢黄褐色で、背面肩甲部に淡紫褐色の死斑を形成し、死体強直は各関節に強く存在する。

顔面、紫藍色を呈し、眼瞼結膜は蒼白で溢血点なく、瞳孔は円形にして開大し、左右ほぼ同大である。角膜は中等度に混濁し、左右の鼻孔より暗赤色の血様液を洩す。口唇粘膜は汚穢暗紫藍色、舌尖は歯列の間に挟まれ、口腔内から血様液を洩し、左右の耳腔内には異物を認めない。

頸部には左耳垂の下後方6.0センチメートル、左乳様突起の下前方4.5センチメートルの部に小指爪床大暗赤褐色の表皮剥脱があり、それから前下方に向って、喉頭隆起の上方を走り、右頸部を後上方に昇りて、右乳様突起の直下方4.0センチメートルの部に達する幅0.4センチメートルの暗赤褐色で硬い帯状の表皮剥脱がある。(索溝)。この索溝の中で喉頭隆起の直上方にて左右径5.0センチメートル、上下径1.2センチメートルの部に長さ約0.7センチメートル乃至0.2センチメートルを算し皮下に達する4個の皮膚裂傷がある。

心臓は大きさ本屍手拳の約2倍大で外膜下に溢血点を認めない。左心内には約30.0ミリリットル、右心内には約17.0ミリリットルの暗赤色流動血を容れ、心臓剔出の際には、周囲の血管から約90.0ミリリットルの同様血を洩らす。

肺臓は容積に富み、割面よりは圧によりて血様泡沫液を洩らし、捻髪音を感ずる。

腹腔臓器は何ずれも血量に富み、胃の内容は多量の半消化状糜粥物で、麦飯を主とし、昆布片を混じて居る。

縦及び横静脈洞内には暗赤色流動血がある。

第2例、野田太登一、当32歳、死亡大正6年4月17日、解剖検査同年同月20日。

1男屍、身長158.7センチメートル、体重57.3キログラム、体格中等、栄養やや良、皮膚の色は一般に蒼白で、背面に淡紫紅色の死斑を形成し、死体強直は各関節に於て中等度である。

顔面は一般に淡紫紅色を呈し、左頬部は圧平せられ左頬骨弓の部に約指尖大の褐色、革皮状の斑紋がある。眼結膜は左は軽度に、右はやや高度に血管充盈し、溢血点を認めない。角膜は軽く混濁し、瞳孔は中等度に開大し右は左に比してやや大きい。鼻翼を圧するに右鼻孔より暗赤色の血様液を洩らし、鼻孔の周囲また同様物で汚染せられる。口唇粘膜は紫紅色で歯列は正しく、舌尖は歯列の間に挟まり、左右の耳介及び耳腔に損傷異常を認めない。

頸部には喉頭隆起の上方1.0センチメートルの部に幅0.8センチメートルの帯状溝があって、左右共上後方に走り、左は乳様突起の下後方4.0センチメートルの部で後髪際に終り、右は乳様突起の下後方3.5センチメートルの部に至って消失する。この索溝は黄褐色革皮状を呈し、前頸部及び左側頸部では著明で表皮剥脱を伴い、右頸部ではやや不明瞭で僅かに皮膚が陷凹して居るのみである。尚前頸部にはこの索溝の上方1.0センチメートルの部に、之にほぼ平行して長さ5.5センチメートル、幅0.2センチメートルの皮膚裂傷を認め、暗赤色で乾固して居る。

心嚢の内面は滑沢で溢血点を認めない。

心臓の大さは本屍の手拳よりやや大きくて、心内には暗赤色の流動血があり、心臓剔出の際には周囲の血管から同様血を洩らす、心外膜には左室に近き右室の前面に個の粟粒大溢血点を認め、其の左下方に13個の針尖大から米粒大に及ぶ漿膜下溢血点があり、後面にも冠状溝に沿いて5個の同様溢血点が存する。

肺臓、左肺下葉外面の中央に多数の粟粒大暗紫紅色の溢血点があり、右肺下葉の前面及び後面にも多数の漿膜下溢血点が散在する。

頸部臓器、舌は灰白色で歯痕が有り、咽頭及び食道の粘膜は滑沢で淡紅色を呈し、気管粘膜もまた滑沢で異常を認めない。

腹腔臓器は何れも血量に富み胃の内容は500.0ミリリットルを算し、多数の小豆片を混じたる未消化状の麦飯である。

第3例、照山梅治、当27歳、死亡大正6年4月30日、解剖検査同年5月1日。

1男屍、身長163.1センチメートル、体重59.9キログラム、体格中等度、栄養佳良、皮膚の色は一般に汚穢淡褐色蒼白で背面には暗紫褐色の屍斑を現わし、死体強直は各関節に於て中等度に存する。

顔面は暗紫紅色を呈し、眼結膜は汚穢暗紫紅色で血管やや充盈し、溢血点を認めない。角膜は軽く混濁し、瞳孔は左右共に開大し、左はやや楕円形、右は殆んど円形である。鼻翼を圧すると鼻孔から暗赤色の血様液を流出し、口唇粘膜は紫紅色、舌尖は歯列の外に突出し、舌尖の右側で口角に近い所に爪床大の暗赤紫色斑があって(粘膜下出血)、歯痕を有する。左右の耳介及び耳腔には損傷異常を認めない。

頸部、前頸部には喉頭隆起の直上方に幅約1.0センチメートル、長さ22.5センチメートルの索溝があって、左端は乳様突起の直下方5.0センチメートルの部に達し、黄褐色革皮状を呈する。

心臓の大さは本屍手拳の約1倍半で、左心内には50.0ミリリットル、右心内には約300.0ミリリットルの暗赤色流動血を容れ、内に少許の豚脂様凝血を含む、心臓剔出の際に、周囲の血管から約165.0ミリリットルの同様血を洩らす。

肺臓、左肺肋膜は全部繊維性癒着を営み、内部には乾酪様物質を充満した空洞及び多数の指頭大及び大豆大の石灰沈着竈がある。左肺はやや血量に富み、右肺はやや之れに乏しい。

腹腔臓器は何れも血量に富み、胃の内容は約932.0ミリリットルの未消化状の麦飯である。

頸部臓器を連結の儘、一斉に剔出して検するに、頸部臓器は甲状軟骨の上部に於て、筋肉及び靭帯と共に全く上下に離断せられて、左右径9.5センチメートル、上下径5.0センチメートルを算する空洞を形成し、喉頭部は潰滅し、舌骨の大角及び甲状軟骨の上角は共に根元から折破せられ、同じ高さで左頸動脈の内膜に3個、右頸動脈の内膜に3個の長さ0.5センチメートル乃至0.9センチメートルを算し、殆んど水平に走って居る裂傷があり、咽後結締織間に鶏卵大組織間出血を認める。

第4例、松原友市、当33歳、死亡大正6年4月30日、解剖検査同年5月3日。

1男屍、身長150.0センチメートル、体重44.4キログラム、体格、栄養共にやや不良、皮膚の色は一般に汚穢暗紫褐色で、背面に紫紅色の死斑を形成し、死体強直は各関節に中等度に存する。

顔面は汚穢紫褐色を呈し、眼瞼結膜は蒼白で溢血点なく角膜は中等度に混濁し、瞳孔の大さまた中等度で鼻孔からは異常の液を洩さず。舌尖は歯列の後方にあり、耳介及び耳腔に損傷異常を認めない。

頸部には左乳様突起の下方4.5センチメートルに始り、前頸部に於いては、喉頭隆起の直上方を走り、右乳様突起の下やや後方3.0センチメートルの部に至る索溝があり、幅は0.5センチメートルを算し、黄褐色革皮状を呈し、暗紫紅色の部を混する。

心臓の大さは本屍の手拳よりやや大きくて、左心内には約20.0ミリリットル、右心内には約90.0ミリリットルの暗赤色流動血を容れ、内に少許の豚脂様凝血を混在する、心臓剔出の際に周囲の血管から約120.0ミリリットルの同様血を洩らす。

肺臓は左右共表面暗紫紅色で上葉はやや退縮せるの感があるが下葉はやや容積に富む、割面の色は表面のそれに同じくて圧によりて暗赤色の血性泡沫液を洩らす。

胃には帯褐緑色の未消化状麦飯250.0ミリリットルを容る。

第5例、牟田千太、当32歳、死亡大正6年6月2日、解剖検査同年同月4日。

1男屍、身長150.6センチメートル、体重49.0キログラム、体格、栄養共にやや不良、皮膚の色は一般に蒼白で、背面には紫紅色の屍斑を形成し、死体強直は各関節に中等度に存する。

顔面は汚穢淡褐色を呈し、左右の眼結膜は蒼白で溢血点を認めない。角膜は中等度に混濁し、瞳孔は左右共やや開大して同形同大である。鼻翼を圧するも左右の鼻孔から異常の液を洩さない。口唇粘膜は暗紫紅色で舌尖は歯列の間に突出し、口腔内に異物なく、左右の耳介及び耳腔に損傷異常を認めない。

頸部には喉頭隆起の直上方から斜に後上方に走って居る索溝がありて、幅約0.4センチメートルを算する。一般に帯黄褐色にて革皮状をなし、右頸部に於ては最も著明で暗赤色を呈する。

心臓の大さは本屍の手拳よりやや大きくて左心内には約15.0ミリリットル、右心内には約45.0ミリリットルの暗赤色流動血を容れ、心臓剔出の際には約30.0ミリリットルの同様血を洩らす、心外膜下に溢血点を認めない。

肺臓、左肋膜には手拳大の癒着があり、右肋膜は全部癒着して居る。肺臓は左右共に血量に富み、豌豆大乃至5厘銅貨大の乾酪様竈がある。

腹腔臓器は血量に富み、胃の内容は約400.0ミリリットルの半消化状の麦飯である。

第6例、濱崎雪次郎、当45歳、死亡大正6年6月29日、解剖検査同年同月30日。

1男屍、身長152.0センチメートル、体重43.5キログラム、体格やや不良、栄養中等度、皮膚の色は一般に汚穢暗褐灰白色で、背面には微紫紅色の屍斑を形成し、死体強直は各関節に強く存する。

顔面、汚穢淡褐色で、左右の眼結膜は蒼白、溢血点を認めない。眼球結膜はやや高度に水腫状を呈する、角膜はやや強く混濁し、瞳孔は強く開大し、殊に左の方が強い、鼻翼を圧すれば鼻孔から暗褐色の血様液を洩し、口唇粘膜は紫藍色で、舌尖は歯列の間に介在し、左右の耳介及び耳腔には損傷異常を認めない。

頸部には喉頭隆起の直上方から左右共に、後上方に向って斜走せる幅約3.0センチメートルの索溝がある。左は左乳様突起の下前方5.0センチメートルの部に達し、右は右乳様突起の殆んど直下方5.5センチメートルの部に終り、暗赤褐色革皮状を呈する。

心臓の大さは本屍手拳の約1倍半で、左心内には約20.0ミリリットル、右心内には約30.0ミリリットルの暗赤色流動血を容れ、内に少許の軟凝血を混ずる。心臓剔出の際に、周囲の血管から約150.0ミリリットルの同様血を洩し、心外膜下には溢血点を認めない。

肺臓、左は表面暗褐色で右は暗赤色、割面の色は左右共に表面のそれに同じく、圧によりて暗赤色の血様泡沫液を洩らす。

腹腔臓器は血量に富み、胃内には麦飯粒及び少許の赤褐色粘稠液を容る。

第7例、古河定助、当27歳、死亡大正6年8月18日、解剖検査同年同月19日。

1男屍、身長164.0センチメートル、体重51.0キログラム、体格中等、栄養不良、皮膚の色は一般に蒼白で、背面殊に肩甲部には紫紅色の死斑を形成し、死体強直は各関節に中等度に存する。

顔面は汚穢淡紫褐色で左上眼瞼結膜は蒼白、左下眼瞼結膜及び右眼瞼結膜は紫紅色を呈し溢血点を認めない。角膜は軽く混濁し、瞳孔はやや開大し、円形で左右同大である。鼻翼を圧するに左右の鼻孔から汚穢暗赤色の泡沫液を洩す。口唇粘膜は汚穢紫褐色で溢血点なく、舌尖は歯列の後方にあり、耳介及び耳腔に損傷異常を認めない。

頸部には左乳様突起の後下方4.5センチメートルの部で髪際から始まり、前頸部に於ては喉頭隆起の上方0.7センチメートルの部を走り、右乳様突起の前方7.0センチメートルの部に終って居る暗赤色革皮状の索溝がある。この索溝の下方に全頸部を環状に囲繞する同様索溝があり、後頸部に於ては外後頭結節の直下方6.0センチメートルの部を走行する。

背面肩甲部に粟粒大乃至麻実大の多数の皮下溢血点がある。

心臓の大さは本屍手拳の約1倍半で、心内には約150.0ミリリットルの暗赤色流動血を容れ、内に凝血を含まない。心臓剔出の際には周囲の血管から殆んど血液を洩らさず、心外膜下には溢血点を認めない。

肺臓、左右共に表面紫紅色で多数の粟粒大結節があり、割面の色も表面に同じく、血量が多く、至る所に前記同様の結節を認むる。

頸部臓器を連結の儘、一斉に剔出して検するに、頸部臓器は皮下に於て全く破壊せられ、胸骨舌骨筋、甲状舌骨筋、中舌骨甲状靭帯は全部上下に離断せられ、喉頭もまた会厭の下部に於て上下に分たれて左右径6.0センチメートル、上下径2.5センチメートルを算する空洞を作る。甲状軟骨の上端は露出し、甲状軟骨上角及び舌骨大角は共に基部より骨折潰滅し、周囲の組織間出血があり、この高さに於て左右の頸動脈内膜に数個の長さ0.2センチメートル乃至0.5センチメートルを算する横走せる裂傷があり、咽後結締織間には鳩卵大の組織間出血を認むる。

胃内に約500.0ミリリットルの汚穢褐色糜粥状物を容る。

軟硬脳膜血管充盈する。

第8例、佐久間力蔵、当61歳、死亡大正6年11月12日、解剖検査同年同月13日。

1男屍、身長153.2センチメートル、体重47.9キログラム、体格、栄養共に中等度、皮膚の色は一般に蒼白で背面には紫褐色の屍斑を形成し、死体強直は各関節に強く存在する。

顔面は赤褐色、眼結膜は蒼白で右上眼瞼結膜外眦部に近く3個の針尖大溢血点がある。角膜は中等度に混濁し、瞳孔は中等大に散大し、左右共殆んど円形同大である。鼻翼を圧すれば右鼻孔から暗赤色の血様液を洩らし、歯槽には歯牙なく、舌尖は両口唇の間に挟まる。左右の耳介及び耳腔に異常を認めない。

頸部には左乳様突起の下やや後方4.0センチメートルの部に始まり、斜に前下方に向いて喉頭隆起の直上方2.0センチメートルの部を走り更に右頸部を上後方に向い、右乳様突起の直下方4.0センチメートルの部に終って居る索溝がある。前頸部に於ては幅約1.8センチメートルでやや陥凹し、帯褐色革皮状を呈し、索溝の左端部に近い所に豌豆大の数個の表皮剥脱がある。

背面には多数の粟粒大乃至米粒大の皮下溢血点がある。

心臓の大さは本屍手拳の約2倍大で冠状血管は充盈し、溢血点を認めない。左右の心内には各約20.0ミリリットルの暗赤色流動血及び軟凝血があって、心臓剔出の際には周囲の血管から約50.0ミリリットルの同様血を洩らす。

肺臓、左肺下葉の後面上部には繊維性の癒着があって、粗糙であるが、他は滑沢で暗紫赤褐色を呈し、截痕面には数個の粟粒大溢血点を認める。割面の色は暗赤褐色で血量に富み、右肺は下葉の肋骨面に数個の溢血点を認むるの他性状凡て左肺と同様である。

頸部臓器を連結の儘、一斉に剔出して検するに舌は蒼白にして硬く、頸部臓器は皮下に於て破壊せられ、胸骨舌骨筋、肩甲舌骨筋、甲状舌骨筋、中舌骨甲状靭帯等は凡て上下に離断せられ、喉頭軟骨には骨折がないが、左右の舌骨大角は其の根元で折傷せられ、喉頭が会厭の下部に於て潰滅せられて居る。其の為ここに左右径6.5センチメートル、上下径3.0センチメートル、前後径4.0の空洞をつくり、其の周囲には強き組織間出血がある。

腹腔臓器は何れも血量に富み、胃には約小児頭大量の汚穢褐色未消化状の米麦飯粒を容れ、内に蔬葉片を混在する。

縦及び横静脈洞内には多量の暗赤色流動血を容れ、内に軟凝血を含み、硬脳膜の血管は充盈。

第9例、柴田与三郎、当53歳、死亡大正6年12月19日、解剖検査同年同月20日。

1男屍、身長158.6センチメートル、体重45.1キログラム、体格、栄養共に中等度、皮膚の色は一般に蒼白で背面には淡紫紅色の軽き屍斑を形成し、死体強直は各関節に強く存する。

顔面は淡紫紅色を呈し、左右の下眼瞼結膜は紫褐色で上眼瞼結膜は中央が蒼白で内外両眼眦に近き部分は紫褐色を呈する。溢血点を認めない。角膜は中等度に混濁し、瞳孔は中等度に開大し、左は径0.5センチメートル、右は径0.6センチメートルを算し、左右共ほぼ円形を呈する。鼻翼を圧するに左鼻孔から異常の液を洩らさないが、右鼻孔からは汚穢淡褐色でやや稀薄なる液を洩らし、死体の位置を動かす毎に口腔から前記同様の液を洩らす。舌尖は歯列の間に挟まれて歯の痕がある。

頸部には左乳様突起の下やや後方4.0センチメートルの部に始まり、喉頭隆起の直上方を通って、右乳様突起の前下方8.5センチメートルの部に終って居る。黄褐色革皮状の索溝があり、其の上下両縁に接する部は紫紅色を呈し、前頸部に於て特に著明である。右頸部は右乳様突起の下やや後方4.0センチメートルの部に長さ1.5センチメートル、幅1.0センチメートルを算する不正四角形の表皮剥脱があり、其の後やや上方1.0センチメートルを距てて、径約1.0センチメートルの同様表皮剥脱がある。共に赤褐色にして乾固す。項部は腫脹してやや硬い。

心臓の大さは本屍手拳の約2倍で冠状血管は著しく充盈し、心外膜下に溢血点を認めない。左心内には約90.0ミリリットル、右心内には約60.0ミリリットルの暗赤色流動血及び軟凝血を容れ、心臓剔出の際、周囲の血管から約120.0ミリリットルの同様血を洩らす。心臓内膜は滑沢で血管やや充盈す。

肺臓、左肺上葉下部に約小児手拳大の繊維性癒着を認め、其の他は滑沢で灰白紫紅色を呈する。上葉の截痕面に4個、下葉の前面及び肋骨面に6個、下端の辺縁に近く13個の粟粒大溢血点が散在する。割面の色は表面のそれに同じくて血量に富み、圧によりて泡沫性血液を洩らす。右肺上中葉の截痕面には5銭白銅貨大及び1銭銅貨大の癒着があり、溢血点を認めない。割面の色は表面のそれに同じく、血量が多く、特に下葉に多くて、やや水腫状を呈する。

頸部臓器、舌は蒼白で歯痕が有り、頸部臓器は甲状軟骨の上部で皮下組織を残して殆んど全く破断せられ、胸骨舌骨筋、肩甲舌骨筋、甲状舌骨筋、中舌骨甲状靱帯等は離断せられ、甲状軟骨は上切痕から下方に向って破砕し、左右径6.0センチメートル、上下径2.5センチメートル、前後径4.0センチメートルの空洞を形成する。左右の胸鎖乳様筋の上部に約扁桃大の筋肉間出血があり、咽後結締織間に約手拳大の組織間凝血を認むる。

腹腔臓器は何づれも血量に富み、胃の内容は約小児頭大量の未消化状麦飯粒である。胃粘膜は滑沢で血管充盈し、大弯に沿いて約小児手拳大の部に針尖大乃至粟粒大の溢血点が群在する。

軟脳膜下血管充盈す。

第10例、周却、当36歳、死亡大正7年1月29日、解剖検査同年同月30日。

1男屍、身長171.6センチメートル、体重52.7キログラム、体格、栄養共に中等度、皮膚の色は一般に蒼白で、背面には淡紫褐色の屍斑を形成し、死体強直は各関節に強く存する。

顔面は紫紅色を呈し、左右の眼瞼結膜は赤褐色で血管充盈し、溢血点を認めない。角膜は中等度に混濁し、瞳孔は左は中等度、右は軽度に散大し、円形である。鼻翼を圧するに左鼻孔からは暗赤色の血様液を洩らし、右鼻孔からは異常の液を洩さない。口唇粘膜は灰白褐色で、舌尖は歯列の後面に達する。左右の耳介及び耳腔に損傷異常を認めない。

頸部には左乳様突起の直下方2.0センチメートルの部から始って喉頭隆起の直上方を走り、右乳様突起の直下方3.0センチメートルの部に終って居る索溝があり、其の下方で更に全頸部を環状に走っている索溝がある。この索溝は後頸部に於ては不鮮明で側頸部に至るに従い著明となり、前頸部に於ては前記索溝と合する、共に黄褐色革皮状を呈し、前頸部には前記の索溝に沿いて其の上部に、左は乳様突起の下やや前方4.0センチメートルの部に始り、前頸部に於ては喉頭隆起の直上方2.5センチメートルの部を経て右下顎隅の下やや前方1.6センチメートルの部に達する幅0.6センチメートルの赤褐色乾固せる表皮剥脱がある。右頸部には索溝の上部に5個の鶉豆大乃至蚕豆大の暗赤色乾固せる表皮剥脱がある。

心臓の大さは本屍の手拳大で心外膜下血管はやや強く充盈せるも、溢血点を認めない。左心内には約60.0ミリリットル、右心内には約50.0ミリリットルの暗赤色流動血を容れ、内に少許の軟凝血を混在する。心臓剔出の際、周囲の血管から同様血を洩らす。

肺臓、左右の両肺は共に表面結締繊性の癒着があり、表面の色は灰白褐色で割面の色は赤褐色を呈する。圧するに泡沫を混じたる暗赤色血液を洩らし、血量は多いが気量に乏しい。

頸部臓器、前記索溝の高さに一致して、頸部臓器の周囲組織に高度の出血があり、暗赤色を呈する。頸部臓器は甲状軟骨の上部に於て上下に殆んど離断せられ、左頸動脈壁には其の高さに於て長さ0.4センチメートルの縦裂創がある。第2頸椎体に骨折を認むる。

腹腔臓器は血量に富み、胃の内容は約1600.0ミリリットルを算し、少許の芋片を混じたる汚穢帯黄緑色の半消化状米麦飯である。

頭部の皮下組織は血量に富み、縦及び横静脈洞内には暗赤色流動血を容れ、硬及び軟脳膜血管は著しく充盈して居る。

第11例、上野幾馬、当44歳、死亡大正8年5月27日、解剖検査同年同月28日。

1男屍、身長153.0センチメートル、体重51.7キログラム、体格中等度、栄養桂良、皮膚の色は一般に汚穢淡褐色で、屍斑は背面及び両下肢の後面にやや著明に現れ、死体強直は各関節に強く存する。

顔面、紫褐色を呈し、眼瞼及び眼球結膜は赤褐色で、溢血点を認めない。角膜は僅に混濁し、瞳孔は中等度に開大し、左右共に同形同大である。鼻翼を圧するに汚穢赤褐色の液を洩らし、口唇粘膜は紫褐色で、口腔粘膜は灰白色を呈し、口から汚穢赤褐色の液を洩らす。舌尖は両口唇の間に介在し、左右の耳介及び耳腔に異常を認めない。

頸部には喉頭隆起の下方約2.0センチメートルの部から左右共に、後上方に斜走して乳様突起の下後方4.0センチメートルの部に終って居る索溝がある。幅2.0センチメートルを算し、暗赤褐色革皮状を呈する。

心臓の大さは本屍手拳の約1倍半で、外心膜は滑沢、左心室壁の上部に約小豆大の漿膜下出血斑がある。左心内約70.0ミリリットル、右心内約110.0ミリリットルの暗赤色流動血を容れ、内に微小なる凝血を含む。心臓剔出の際し、周囲の血管から約70.0ミリリットルの同様血を洩らす。

肺臓、左肺は表面暗紫紅色で滑沢、溢血点を認めない。割面の色は表面に同じく、圧によりてやや多量の暗赤色泡沫液を洩らす、右肺の表面は結締織性被膜で掩われ、淡紫紅色を呈する。其他の性状は左肺に同じ。

胃の内容は約700.0ミリリットルの豆、菜葉を混じたる米麦飯粒である。

頸部臓器、食道内は半消化状の米、麦、豆、菜葉を以て充し、食道粘膜は破裂軟骨の下方1.5センチメートルの部より下方7.0センチメートルの部に亙り汚穢紫紅色を呈し(粘膜下出血)、其の中央部に幅2.0センチメートルの粘膜が断裂剥離せる部分がある。気管上部には前記同様の食物残渣があり、甲状軟骨より下方2.5センチメートルの部の気管軟骨は全く断裂せられ、其部に相当して左右頸動脈内膜に横走せし断裂創がある。左右の胸鎖乳様筋もまた是等の断裂創に一致して断裂し、周囲に出血竈を認むる。

軟脳膜血管充盈す。

第12例 田中徳一、当26歳、男、死亡大正7年3月11日、記録を欠く、頸部臓器の保存標本に就きて検するに、舌には其辺縁に沿いて14対の歯痕がある。頸部臓器は皮下に於て破壊せられ、胸骨舌骨筋、肩甲舌骨筋、甲状舌骨筋、中舌骨甲状靱帯等は全部上下に離断し、舌骨の左大角及び甲状軟骨の左上角は其根本から、舌骨右大角及び甲状軟骨右上角は中央から骨折し、甲状軟骨体また中央に於て縦に破折せられ、喉頭及び咽頭粘膜は会厭の下方に於て離断せられて一大空洞を形成し、周囲は組織間出血によりて暗赤色を呈する、左頸動脈内膜には分岐部より下方1.5センチメートルの部に長さ0.7センチメートルを算し横走せる裂傷がある。

第13例 末海金次郎、当44歳、男、死亡大正7年9月10日、記録を欠く、頸部臓器の保存標本に就きて検するに、舌の辺縁に沿い中央から右方に6個の歯痕がある。頸部臓器は甲状軟骨の直上方に於て上下に離断せられて、一大空洞を形成し、左右の舌骨大角及び甲状軟骨上角は何れも根元から破砕し、上甲状切痕部約指頭大に亙りて挫砕せらる、左右の頸動脈は分岐部の下方1.3センチメートルの部にて断裂し、上断端は上方に牽引せられて、約2.0ンチメートルの間は血管壁が見えない。左右の胸鎖乳様筋もまた断裂部に一致して上下に離断せられて居る。

第14例 氏名不詳の死刑囚、記録を欠く、頸部の保存標本に就き検するに、舌の上面にて舌尖より内方1.0センチメートルの部より右は舌根部右縁、左は左縁中央部に至る間に12個の歯痕が並列し、舌の下面にもまた之に相当して同様歯痕がある。気管は咽頭隆起の下方2.0センチメートルの部にて完全に離断せられ、食道には損傷を認めない。この高さに於て左右の胸鎖乳様筋及び頸部筋肉もまた上下に離断せられ、左頸動脈内膜には分岐部より下方2.0センチメートルの部に長さ0.3センチメートル乃至0.6センチメートルを算する4個の横走せる裂傷があり、右頸動脈内膜には分岐点より下方2.4センチメートルの部に長さ0.9センチメートルを算する同様裂傷がある。第2頸椎骨の左右の上関節面の中央には各々横走する1条の線状不完全骨折がある。

(中略)

ここに報告する諸例は一般縊死の場合と異なり頸部臓器の断裂、出血等が強烈である。之は恐らく、刑死にありては、絞頸と同時に重き身体が急激に落下し、其の頸部に作用する力が強烈なる為めであろうと推測せられる。依って頸部に索条を掛けて、高所から飛び降るようにして、縊死した時にもまた恐らくかくの如き頸部臓器の強烈なる損傷を呈するだろうと推測せられる。

(以下略)

《引用終了》

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絞首刑の事故:木名瀬礼助看守の報告 ロープの切断

資料15抜粋

これは当時、京都監獄の現役看守だった木名瀬礼助氏が「監獄協会雑誌第20号2号127~135頁(明治40年)」に投稿した記事「刑法改正案に就ての所感」から記事を抜粋(133頁11行目~135頁10行目)したものと、その現代語訳です。
この中には絞首刑の執行にあたってロープが切れたため釣り上げて死刑を執行した例と、死刑執行命令が出ているのを知らず再審請求した死刑囚を「強制を以って」処刑した例が挙げられています。木名瀬氏は「如斯(かくのごとき)事例を当然職務の行動なりと言う者あらば、余輩何をか語らんや」と述べています。

《現代語訳開始》
死刑を執行するにあたって、私は指揮・監督の立場で部下の執行者に現場で殺事を行わせた。その時の様子は、いくら職務であっても指揮者(である私)の部下たちの顔色は蒼ざめて、むしろ受刑者よりもかえって弱気になっているありさまだった。私も、言うまでもなく、この惨刑を執行する現場では惻隠・同情する気持ちが強くなったけれども、この場合、弱気を見せることは許されなかった。私は自ら進んで剛胆さをふるいおこし、虚勢を張って絞首台の上下周囲の者を指揮・監督した。予定通り首にロープを掛け、受刑者の立つ踏板を外した。受刑者が落ちると同時に思いもよらなかったことだが、ロープが中間で切れて受刑者が下に落ちて地面に倒れた。この予想外の出来事に際して、執行吏はもちろん、立会官もいっしょになって一時、呆然となってどうしたら良いのか分からなかったが、間髪を入れず対応すべき機会であり、一刻一秒も躊躇すべき時ではなかったので、私は自らその現場へ飛び込んで、受刑者の首に残っていた切れたロープを締めた。一方でそれを絞首台の上に結びつけて、更に釣り上げ、やっとのことで執行を終了した。ああ、この間の無惨・残酷については、今話すのであっても戦慄の思いを強く感じてしまう。
また、強盗殺人犯の死刑を執行した時の話である。ちょうど、執行命令が出たため刑場の準備をしていた。罪人に死刑の執行命令が出たことをまだ伝える前に、罪人から再審申立をしたいと申し出があった。もはやその余地はなく、既に死刑執行命令が出ている事を罪人に話して聞かせた。彼は大変な憤懣をもって苦情を唱え、死刑の執行を容易に受け入れようとはしなかった。さらに教誨師から丁寧に話してもらったが、彼は頑として不当であると主張し、全く考えを変える様子がなかった。そこで止むを得ず強制的に彼を絞首台へ引き連れていった。その時の状況で私は狂牛を引いて屠殺場へ行かせるような気持ちになった。
このような事例について、これを職務上の当然の行動であると言う者がいるのであれば、私は語る言葉を失ってしまう。
そもそも死刑の宣告のあと執行に至るまでの間、数ヶ月もしくは数百日間、監獄が直接担当して拘置し、監獄の官吏は平素接して話をし、法律規則の許す限り保護を加え、あるいは教誨をするなどしている。慣れるに従って自然と愛憐の情が深くなるのは人間の情としてあたり前である。それなのにいったん命令があれば、その者の死刑の執行を行うにあたって、前述のような大胆・勇気をふりしぼってその任に当るためには、俗に言う「昨日の仏、今日鬼」とならざるを得ない。
《現代語訳終了》

《引用開始》
死刑を執行するに当り、余輩指揮監督の地位に立ち、部下の執行者に現場に於て殺事を為さしめたるときの感相たるや、如何に職務なりと雖(いえど)も、指揮者の下斑にあるもの顔色蒼然として寧ろ受刑者より反て執行者が軟弱なる状ありし。併(しか)し余輩ももとより此の惨刑執行の現場に於ては惻隠同情の発動を旺ならしめ堪えざる者ありしと雖も、此の場合弱気を示すことを許さず、自から進で剛胆を鼓舞して、虚勢を張り、絞首台の上下周囲に指揮監督し予期の如く絞首せしめ、刑者の踏台を外し、台下に落ると同時に何ぞ図らん絞縄(こうじょう)、中間に於て切断し、刑者は地下に落倒せり。此の意外の出来に際し、執行吏は勿論、立会官も共に一時呆然として為す所を知らずと雖も、此の間髪を容れざる臨機に処し一刻一秒時も躊躇すべき場合にあらざるを以て余輩奮然自ずから其現場に飛込み刑者に残存する切断絞縄を締め、一面台上に結い付け、更に釣揚げ、漸く執行を結了せり。嗚呼、此の間に於ける無惨残酷、今更之を語るも転(うた)た戦慄の思あらしむ。
又、強盗殺人犯の死刑を執行するに際し、恰も執行指揮の命令に依り、刑場準備を為しつつあるも、未だ罪人に告達する前にあたり、罪人より再審申立を為さんと申出るも、最早其余地なく、既に其筋の命令あることを訓告したるに、彼れ、非常なる憤懣以て苦情を唱え、容易に肯んぜず。一面、教誨師をして、懇訓之を諭すも頑として不当を唱え、毫(ごう)も反省の状なく、止を得ず強制以て絞首台へ引致する当時の実況は、実に狂牛を曳て屠場に到らしむるが如き概あらしめたり。
如斯(かくのごとき)事例は之を当然職務の行動なりと言うものあらば余輩何をか語らん乎。
抑(あたか)も死刑の宣告後行に至るの間、少くも数月若は数百日間、直接主管の下に拘置し、監獄官吏は平素接近し、言談し、法律規則の許す限り保護を加え、或は教誨する等、自ら慣るるに従い、愛憐の情を深うするは人情の常なり。然るを一朝命令の下に之が執行を為すに当り、前述の如き大胆勇気以て其任に当るは俗に所謂昨日の仏今日の鬼たらざるを得ず。
《引用終了》

(原文を転記するにあたって、歴史的仮名遣いを現代仮名遣いに、旧字体を新字体に改めた。また原文には句読点やルビ等が全くないが、適宜補った)

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絞首刑の事故:日本の長島高之助氏 ロープの外れ

資料14抜粋

1893年(明治26年)7月27日に東京市ヶ谷監獄署で長島高之助という男性が絞首刑を執行されました。彼は首からロープが外れて床に落下。2回目も落下。3回目でようやく死亡したようです。以下はその事実を報道した同年8月1日付の読売新聞記事です。絞罪機とは絞首台のことで、その構造は現在と基本的に同じです。同紙の内容によると絞首刑の際に首からロープが外れることが以前にもあったことが分かります。

《引用開始》

○土用の丑の日、鰻屋死刑に就く 去る二十七日市ヶ谷監獄署に於て死刑に処せられし内藤新宿の二人斬凶行者、同地三丁目八番地竹虎方雇人(やといにん)鰻裂き長島高之助は、当日裁判所に引出(ひきい)だされて死刑の宣告を受け、同人は頻(しき)りに愁傷の体なりしが、ややありていいける様、死期際(いまわ)にのぞみ申上度(もうしあげた)き一大事の候えば死刑三日間の御猶予を願うと声を放ちて涕泣し其の場を一寸も動かざるにぞ、看守等引き立てて刑場に引据えたるに、如何にしけん絞罪機の一度ならず二度までも外れて罪人地上に落ちたるはいまだ例(ためし)なきのみならず、別に日もあるべきに土用の丑の日に鰻裂きの男が死刑を受くるとは奇怪のことよと白髪の看守は呟きぬ。

《引用終了》

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絞首刑の事故:小野澤おとわ氏〈2〉(日本) 首の切断

資料13抜粋

1883年(明治16年)7月6日に東京市ヶ谷監獄署で小野澤とわ(「おとわ」と表記する報道もある)という女性が絞首刑を執行されました。その様子を7日付の東京絵入新聞が報じています。絞首刑の執行方法は、この記事の当時も今も基本的に同じ方法です。

《引用開始》

去年十二月十六日に死刑の宣告ありしを不服とて上告したる、駒込富士前町廿五番地の小野澤とわ(三十八)が、本夫(おっと)にひとしき中里村圓勝寺の住職藤沢(ふじさわ)立信(りっしん)の実母りかを縊(くび)り殺したる件は上告を棄却され、前裁判のごとく昨日午前第八時三十分市ヶ谷監獄署において死刑と処せられぬ。立会検事中川忠純君書記市川重胤(しげたね)君其他典獄の諸員立列(たちなら)ばれ、例(かた)の如くとわを呼出(よびいだ)して刑場に就しめられ踏板を外し体を堕落(だらく)せしむるに当り、とわが肥満質にて重量(おもみ)のありし故にや絞縄(しめなわ)がふかく咽喉(のんど)に喰込みしと見え鼻口咽喉(はなくちのんど)より鮮血迸(ほとば)しり忽地(たちまち)にして死に就たるにいとあさましき姿なりし。稍(やや)あって死体を解下(ときおろ)されたれど絞縄のくい入りてとれざる故、刃物を以て切断し直に棺におさめられしが、死骸は兄關谷(せきや)新助(しんすけ)の願いにより同人へと下渡(さげわた)されしと。

《引用終了》

〈注 原文の旧仮名遣いは新仮名遣いに、漢字の旧字体は固有名詞以外を新字体に改めた。全ての漢字にルビがあったが、必要と思われるものに絞った。原文には句読点は全くないが、適宜補った〉

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絞首刑の事故:小野澤おとわ氏〈1〉(日本) 首の切断

資料12抜粋

1883年(明治16年)7月6日に東京市ヶ谷監獄署で小野澤おとわ(「とわ」と表記する報道もある)という女性が絞首刑を執行されました。その様子を7日付の読売新聞が報じています。絞首刑の執行方法は、この記事の当時も今も基本的に同じ方法です。

《引用開始》

駒込富士前町の小野澤おとわ(三十七年三ヶ月)の犯罪事件は前号に委(くわ)しく記載した通り。同人は昨年七月二十五日南豊島郡(みなみとしまごおり)中里村圓勝寺の住職藤澤立信(ふじさわりっしん)の母親お里かを蚊帳(かや)の釣緒(つりお)にて縊(くび)り殺した科(とが)に依り、同年十二月十六日東京重罪裁判所にて刑法第二百九十六条に照し死刑に処せられ、裁判に服せず大審院へ上告したに付、同院にて審理のすえ原裁判を破毀し、更に刑法第三百八十条強盗人を傷し死に致したるとの条に依り死刑に処すと宣告せられ死刑確定したにつき、大木司法卿の命令に依り昨日午前八時三十分市ヶ谷監獄署内の刑場にて死刑を執行せられし模様と聞くに、重罪裁判所より中川検事と書記内川何某が出張され、また監獄署の副典獄(ふくてんごく)其(その)他(た)の獄吏(ごくり)が出張ありて用意全く調いたれば、頓(やが)て押丁(おうてい)監守人等にて刑場の傍(かたわら)なる仮牢の内に控えしおとわの囚衣を脱がせて、最初取り押えられし時着て居りし袷衣(あわせ)を着せ、浅草紙にて面部を覆い後手に縛りしまま刑場へ引出し、刑台(けいだい)にて梯(はしご)を上りて内に入り、頓(やが)て看守より用意の調いし旨を告げ、刑台の踏板を外すと均(ひと)しくおとわの体は首を縊(くく)りて一丈余(いちじょうよ)の高き処(ところ)よりズドンと釣り下りし処、同人の肥満にて身体(からだ)の重かりし故か釣り下る機会(はずみ)に首が半分ほど引き切れたれば血潮(ちしお)が四方(あたり)へ迸(ほとばし)り、五分間ほどにて全く絶命したれば縊縄(くびりなわ)を解き、死体は法の如く埋葬にするべき処をおとわの兄何某より死骸のお下渡しを願い出たにつき、直に聞届けて同人へ引渡されたという。

《引用終了》

〈注 原文の旧仮名遣いは新仮名遣いに、漢字の旧字体は固有名詞以外を新字体に改めた。全ての漢字にルビがあったが、必要と思われるものに絞った。原文には句読点は全くないが、適宜補った〉

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日本の絞首刑採用理由(斬首に比べて苦痛はあるが身体が保たれる)

資料19

明治15年(1882年)に旧刑法が制定されるまでは、通常の犯罪に対する死刑の執行方法として斬首と絞罪(絞首刑)が行われていました。旧刑法制定によって、それは絞首だけに限定されました。以下はその草案を作るための会議でなされたボアソナードと鶴田皓の会議の筆記録です。

《現代語訳開始》

ボアソナード
「欧州の各国では、死刑の内に絞首と斬首の2つの方法があります。現在、英国では絞首の方法を用い、フランスでは斬首の方法を用いています。この2つの方法とも、それぞれ一長一短があります。絞首に処するのは生来の身体を(傷付けないで)保つので、斬首で体と頸が切り離されるのに勝るとの考えからです。また、斬首に処するのはその犯人の身にとって速やかに生命が絶たれ、(その犯人が)苦痛を覚えないので、絞首のように苦痛を覚えるものに勝るとの考えからです。しかし、本当に苦痛を覚えるのか否かは、刑を受ける本人でないので他人が知ることはできません。また、死体を親族に下げ渡すことについても、身体を(傷付けないで)保っておけば、その親族が死体を見ても、格別、残酷な刑を受けたとの恨みを生じる可能性が低いという利点があります。」

鶴田
「そのとおりですね。この条文の第1稿では、死刑は斬首としたけれども、元老院でも絞罪(絞首刑)に処するべきであるとの議論があったと聞きました。ことに日本では現在絞罪をもっぱら使用しているので、やはり絞罪に改めようと思います。」

ボアソナード
「賛成です。今まで論じたとおり、人情から、斬首して身体を2つに切り離すのを避けるのであれば、絞罪にしても良いです。しかし、本人に苦痛を感じさせないというのであれば、斬首にするべきです。もっともその者が苦痛を感ずるか否かは刑を受ける本人でなければそれを知る者はいない訳ですけれど、理屈の上から考えれば、まず刀のひと振りでその生命を絶つので苦痛がないと考えました。よって第1稿では斬首としたわけです。」

この時に日本の絞罪の図を示した。

鶴田
「近来はこの図のような器械を用いて、間違いなく苦痛を起こさせないように上手く執行できます。」

ボアソナード
「すでに現在、米英とももっぱら絞罪を用いています。加えて、犯人の体を2分しないとの考えならば、絞罪にしても問題ありません。フランスで斬首を用いる理由は、昔の封建制度の時代に貴族は斬首し、平民は絞罪としていました。貴族を斬首するのは貴族という身分を尊ぶからです。しかし、1700年代の改革で貴族・平民とも同等に取り扱うべきであるという論拠によって、以前は卑しんでいた方法を廃して尊んでいた方法を用いることにしたために、等しく斬首することとしたわけです。もとよりそれ以外の考えがあったわけではありません。ですので自分はどちらでも異論はありません。」

鶴田
「体と首が切り離された時には、親族に下げ渡すに当たっても耐え難いことが大いにあるだろうと思います。」

ボアソナード
「そのとおりです。斬首を絞罪に改めるのは、たとえ罪人であっても貴重な人間の身体を分裂させないようにするとの考えに立つべきです。もし、苦痛であるかどうであるかの考えに立つ時は、本当に道理に適ったものとは言い難いです。」

鶴田
「それでしたら、絞罪に改めることに決定しましょう。」

《現代語訳終了》

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ワシントン州の死刑執行マニュアル

資料17

米国ワシントン州矯正局のホームページの訳

ワシントン州矯正局 指針
適応対象      刑務所
改訂              10年3月8日
頁番号          1から13
番号              DOC490.200
標題              死刑

見直し/改訂の履歴

施行 93年9月3日
改訂 98年6月15日
改訂 01月8月10日
改訂 07年6月21日
改訂 08年10月25日
改訂 10年3月8日

見直し/改訂の要約

Ⅲ.B.2およびⅨ.A.4.d, ―基本的かつ想定される死刑執行の方法として単一薬物による死刑執行手順を追加した
付属文書1―ヘルス・ケア・マネージャー2を任務割当から削除した
単一薬物および三薬物による死刑執行手順に関連して、所長チェックリスト付属文書2および3を追加した

承認

記録へのサイン
エルドン・ヴァイル矯正局長官

日付

10年3月5日

参照:

DOC 100.100はここに統合される;RCW 10.95.160-190;WAC 137-48-050;
DOC 410.040 事故命令系統(ICS)

指針:

Ⅰ. 矯正局はRCW 10.95.160-190の要請を満たすための手続を決定した。以下の手続は公開される。

A. 死刑に直面する収容者(死刑囚)に対して必要とされる警備
B. 死刑を執行する手順
C. 法的に有効な死刑執行令状が効力を有している間の死刑囚に提供される保護、および
D. 致死薬物注射もしくは絞首刑による死刑執行の方法

Ⅱ. 矯正局長は刑務所との以下の調整のために刑務所担当局長補を任命する。

A. ワシントン州立刑務所所長の義務、および
B. 死刑執行令状の法的な状態に加えて死刑執行に関する手続や運用上の決定の改訂

命令

Ⅰ. 死刑囚の居室

A. 死刑囚の受け入れと死刑執行令状の受領の前:

1. 男性死刑囚はワシントン州立刑務所の隔離された区画の独房室に収容されるべきである。
2. 女性死刑囚はワシントン州女性矯正センター(WCCW)の隔離された区画の単独室に収容されるべきである。死刑執行の日に先立って女性死刑囚はワシントン州立刑務所の居室へと死刑執行のため移送される。

Ⅱ. 死刑執行前の手続

A. RCW.10.95.190に従って記録は死刑執行令状とともに所長室で保管されるべきである。
B. 責任は死刑執行手続と仕事割当のチェックリスト(付属文書1)に列挙されている。
C.所長から任命された職員のみが死刑執行に立会う。施設の職員は死刑執行の如何なる部分にも参加するよう命じられることはない。

Ⅲ.死刑囚への告知

A. 法的に有効な死刑執行令状の確認を受領した後に、刑務所長は死刑執行に関する手続について死刑囚と個別に面接する準所長を指名する。
B. 準所長は、郵便物、面会、電話の使用、および利用可能な宗教的礼拝を含む手続の概要を書面で死刑囚に交付する。死刑囚は以下について告知される。

1. 死刑執行の日付。
2. 死刑は薬物注射で行われることになっている。

a. 基本的かつ想定される死刑執行の方法は、単一薬物による死刑執行手順(チオペンタールナトリウムの後に生理的食塩水を流す)を用いた静脈注射である。
b. 死刑囚は他の死刑執行の方法として三薬物による死刑執行手順(チオペンタールナトリウム、通常の生理的食塩水を流す、臭化パンクロニウム、通常の生理的食塩水を流す、そして最後の塩化カリウム注入)を選ぶことができる。
c. 死刑囚はもう一つ他の死刑執行の方法として絞首刑を選ぶこともできる。
d. 使用される方法は死刑執行日の14日前までに決定され、その日付の後は変更できない。かりに死刑囚が三薬物による死刑執行手順もしくは絞首刑を選ぶのであれば、そのことは死刑執行の14日前より遅れることなく書面で表明されなければならない。もし、死刑囚が書面で他の方法を選択しなかった場合、単一薬物による死刑執行手順が他を排して死刑執行の方法となる。

3. 法的に有効な死刑執行令状の下にある死刑囚の郵便物に関する手続は以下の通り:

a. 郵便係は、受信した郵便物を開封しないで指名された準所長に転送するよう書面で命じられる。準所長は、その死刑囚に関連して施設の秩序と安全を脅かす物品をふるい分けて取り除く。

1) 死刑囚を苦悩させることを意図した郵便物は施設の通常業務を脅かすものであると判断されてWAC137-48-050により制限される。
2) 法的な郵便物はふるい分けはするが読まれない。

b. 郵便係は、受領および投函した日時を書き留めて、出入りする全郵便物の記録を保全する。法的な郵便物については別の記録で保全される。

4. 死刑囚と許可された面会者の面会では肉体的な接触はない。

a. 死刑囚への面会は集中管理室区域に収容されている他の受刑者との面会手続に準ずる。
b. 死刑執行の7日前には登録弁護士を伴った面会に加えて、毎日の面会が許可される。
c. 死刑執行の24時間前には全ての面会と面会者は所長の許可ないし拒否が必要である。
d. 死刑囚が死刑囚隔離房に移動した後は面会は認められた聖職者と登録弁護士に制限される。

5. 死刑囚が毎日の屋外時間に電話を使用することは制限されない。死刑執行の14日前には毎日1時間の屋外時間が追加される。

a. 登録弁護士との電話はかけるものもかかってくるものも回数・時間とも制限されない。
b. 死刑囚隔離房への移送の後は、登録弁護士からかかってくる電話のみ認められる。

Ⅳ. 報道機関関係

A. 所長もしくは所長から任命された者が死刑執行に関する情報の全要求を調整する。

1. 全国と地方の報道機関の代表に対して1度だけ死刑執行室への立ち入りの機会を所長が許可し、任命された職員が調整する。

B. 所長はこの指針に明記された立会人選定の項に従って報道機関の立会人を選ぶ手続を決定する。

1. 音響・電気・映像・機器、カメラ、電話、もしくは録音/通信機材は死刑執行室では許可されない。報道機関の立会人は電気機器による検査と体に軽く触れられる検査を受けることが条件である。DOC21-575外来者検査要請の承認を用いた検査への同意が必要である。
2. 死刑執行室で許可される物品は施設が用意したペン、鉛筆および書くための机だけである。

C. 報道機関の代表者はインフォメーションセンターを利用する要望を書面で提出しなければならない。

1. インフォメーションセンターの利用は死刑執行の3時間以上前には許可されない。

D. 報道関係者が施設の駐車場の指定された区域を利用することは死刑執行当日の指定された時間に許可される。
E. 報道関係者は所長もしくは所長の任命した者の事前の許可なしに施設の職員について写真に撮ったりインタビューを行うことは認められない。
F. 通常行われる警備手続が全て適用される。これらの手続、矯正局の指針、運用上の連絡、もしくは資格を持つ職員からの指示に従わない場合、施設およびその敷地の両方もしくは一方から排除される理由となり得る。所長は緊急事態の規則や手続を決定してもよい。

Ⅴ. 立会人の選定

A. 死刑執行の20日前より遅れることなく、死刑執行に出席して立会いたい者は要望を手紙(例えば申請書)で所長に提出する。手紙には死刑囚との関係と出席したい理由を明らかにしなければならない。適格な人物に含まれるのは:

1. 司法関係者(すなわち、死刑執行令状に署名した裁判官、確定裁判と確定判決および死刑執行令状が出された郡の現在の検察官もしくは検察官の代理、および死刑囚の最も新しい代理人を務める登録弁護士)
2. 法執行機関の代表者(すなわち、収監者が死刑を宣告される理由となった犯罪を捜査する責務を負う公務員)
3. 報道機関の代表
4. 被害者の家族の代表(すなわち、ごく近い家族もしくはごく近い家族の弁護士)、および
5. 死刑囚のごく近い家族の代表

B. 死刑執行の15日前より遅れることなく、所長は矯正局の職員を除いて死刑執行に出席して立会う者の数を決定すべきである。

1. 所長は適格な人物の分類ごとに立会いが許可される人数を決定する。

a. 事件や死刑執行が影響を与える地域社会を対象にしている報道機関を考慮して、5社を下回らない範囲で報道機関の代表が含まれる。
b. 2名を上回らない法執行機関の代表が含まれる。犯罪が犯された管轄区域の法執行官の長が法執行機関の代表を任命する。

2. いったんリストが作成されたならば、所長は死刑執行に立会いたいとの手紙(例えば申請書)を提出した全関係者にリストを提供する。

C. 死刑執行の10日前より遅れることなく所長は有罪判決と死刑執行令状を出した上級裁判所に立会人のリストを提出する。死刑執行に出席する立会人を特定する最終的な命令として裁判所がそのリストを承認するとの命令を出すように依頼する申請書とともに立会人のリストは提出される。立会人のリストを承認するとの裁判所の最終的な命令は申請が提出されてから5日経たないうちに下されてはならない。
D. 所長の申請が提出されてから5日以内に正当な理由のある申請が有罪判決と死刑執行令状を出した上級裁判所に提出されなければ、上級裁判所の決定により、所長のリストが最終的なものとなり、他の関係者はリストの妥当性について異議申立てをする地位を失う。
E. 所長や上級裁判所は必要な職員を除いて予定される死刑執行において17名を越える立会人を決定したり許可することは絶対にあってはならない。
F. 全ての立会人は死刑執行に立会うさいに施設の検査と警備上の規定を遵守せねばならず、緊急事態の規則や手続に従わなければならないかも知れない。DOC21-575外来者検査要請の承認を用いた検査への同意書が必要である。

Ⅵ. 死刑囚隔離房

A. 死刑執行まで24時間を切ってから、死刑囚は死刑囚隔離房に移される。
B. 死刑囚隔離房には以下がある:

1. マットレス1枚、シーツ2枚、毛布3枚、枕1個、および枕カバ-1枚を含む寝具、
2. タオル2枚、雑巾1枚、および棒状の石鹸1個を含む個人用の洗面具、
3. 下着、官衣、法的な資料、宗教的な物品、宝飾品、あるいは死刑囚が要望し所長が許可した他の私物を含む許可された私物、および
4. 死刑囚が要望し、隔離房の職員が保管して死刑囚が希望したさいに交付することを所長が許可した私物。

C. 女性の死刑囚は死刑囚隔離房に移される前はワシントン州立刑務所の集中管理区域に収容される。
D. 矯正局の職員2名が隔離房に常に貼り付いて行動の記録を全て保全する。

Ⅶ. 最後の夕食

A. 死刑執行直前の夕食では死刑囚は給食係の長が作成して提供するメニューから自分で夕食を選ぶことが許される。給食係の長が死刑囚の食事の準備と配食を保証する。

Ⅷ. 死刑執行の準備

A. 所長は死刑執行の過程を援助する者を指名する。

1. 職員は死刑執行のいかなる部分にも参加を要求されない。
2. 死刑執行の準備を適切に行うことを保証するために必要であるので、訓辞と予行演習が行われる。致死薬物注射による死刑執行のためには、静脈(IV)路の確保を含む最低3回の講習が実施されるべきである。

B. 医学的な再検査

1. 死刑囚の身体検査を行ない、死刑執行の過程に影響し得る特定の要因(例えば、静脈の虚脱、肥満、筋・骨格の衰え)があれば特定する。死刑囚の身長と体重を検査の間に測定する。
2. 身体検査にもとづいて、所長は適切な専門家に対して、速やかで人道的な死を保証するために、指針を変更することが当を得ているか否か助言を求めることができる。

C. 人混みの整理

1. 所長は法執行機関に死刑執行の日付を通知し、交通および人混みの整理に関して起り得るいかなる問題にも同機関が対応可能となるようにする。
2. 死刑執行に先立ち、所長は地方と州の法執行機関に対して訓示をし、人混みの整理と潜在的な外的脅威への対処に対してワシントン州立刑務所と矯正局が法執行を支援する方法と程度を決定する。
3. 区域は一般大衆に対して指定される。
4. ワシントン州立刑務所緊急対応チーム(ERT)は同所の敷地に群衆を入れないように整理する。

a. ERT警備員は死刑執行に先立って所長から訓示を受ける。
b. 抗議する者や見物人の両方もしくは一方が集結した場合、群衆を指定した区域に誘導するように法執行の援助を求める。

Ⅸ. 死刑執行の手続

A. 致死薬物注射

1. 致死薬物注射器材と人員

a. 全ての管、注射器、生理的食塩水、および他の器材は、死刑執行の7日前より遅れることなく設置して確認する。
b. 所長は適切な品質の致死薬物を取得するように指示する。これらは死刑執行の7日前に利用可能にして設置される。
c. 所長は全ての物品について警備と継続的な確認を保証する。
d. 致死薬物注射チームの構成員は死刑囚に対して不必要な苦痛を与えずに致死薬物注射を実施するために十分な訓練と経験を積む。最低限の資格には有資格の医療助手、瀉血施術者、救急救命士、医療従軍者、軍の医療班、もしくは類似の職業のような専門的な訓練もしくは経験を1年かそれ以上積むことが含まれる。

2. 致死薬物注射を行う台

a. 所長は、施設の管理者と共に致死薬物注射を行う台が、全ての拘束具を使用可能にした状態で正しく使用し得ることを検査し確認する。

3. 死刑執行場所の準備

a. 致死薬物注射チームは致死薬物注射の場所として指定された場所を視察して所長に対して最後の助言を行う。
b. 致死薬物注射チームは死刑執行まで1時間を切らないうちに必要物品を全て集めて死刑執行室への移送に備え、致死薬物注射チームの長が致死薬物を保管し、自らそれらを死刑執行室に運ぶ。
c. 注射液は投与の30分以上前には調製しない。

4. 死刑執行手続

a. 所長が死刑囚を死刑執行室に移すことを指示する。護送チームは死刑囚を致死薬物注射を行う台に置いて、適切に台に固定する。護送チームは部屋を出る。
b. 致死薬物注射チームは2つの静脈路を確保し各々の輸液路に通常の生理的食塩水を流す。致死薬物注射チームはゆっくりとした速度で通常の生理的食塩水が流れ続けるよう確実に行う。
c. 所長は死刑囚に最期の言葉があればそれを聞く。
d. 所長の通告にもとづいて、致死薬物注射チームは以下に明記した順番で致死溶液をチューブ内に一気に大量に注入する:

1) 所長チェックリスト―単一薬物による死刑執行手順(付属文書2)に基づく単一薬物による死刑執行手順

a) チオペンタールナトリウム      5g
b) 通常の生理的食塩水                 50cc

2) 所長チェックリスト―三薬物による死刑執行手順(付属文書3)に基づく三薬物による死刑執行手順

a) チオペンタ-ルナトリウム      3g
b) 通常の生理的食塩水                 50cc
c) 臭化パンクロニウム                100mg
d) 通常の生理的食塩水                 50cc
e) 塩化カリウム(KCl)                           240mEq
f) 通常の生理的食塩水                 50cc

e. 三薬物による死刑執行の手順が用いられる時、所長は致死薬物注射チームが臭化パンクロニウムを投与する前に死刑囚の意識の微候を観察する。もし、所長が死刑囚が最初のチオペンタ-ルナトリウムの投与量によっても意識を保っていることを観察したら、致死薬物注射チームに対してチオペンタ-ルナトリウムを3gさらに追加するように指示する。
f. 必要とされる溶液の注入に1つの輸液路を用いる。
g. 致死薬物注射チームは全ての注射薬を投与し終えた時に所長に合図する。
h. 所長が適切であると判断した時にカ-テンが閉じられ、死体を検案して死亡宣告を行うために所長が医師を呼ぶ。
i. 死亡宣告の後、致死薬物注射チームはその場を離れる指示のあるまでその場に留まる。
j. 死刑執行後の手続は後述する。

B. 絞首刑

1. 処刑台の踏板と開放機能を適切な運用のために検査する。
2. 死刑囚の踏板からの適切な落下距離の決定を行なう。以下に示す標準的な軍の死刑執行における落下表が用いられる。

体重(kg 落下距離(m
54.48 2.46
56.75 2.39
59.02 2.31
61.29 2.24
63.56 2.16
65.83 2.06
68.10 2.01
70.37 1.98
72.64 1.93
74.91 1.88
77.18 1.83
79.45 1.80
81.72 1.75
83.99 1.70
86.26 1.68
88.53 1.65
90.80 1.63
93.07 1.57
95.34 1.54
99.88 以上 1.52

(訳注 原文はポンド・フィートで表示。翻訳にさいしてキログラム・メートルに換算した)

3. 装備

a. フード-中間色で外側の表面が粗い素材で出来ていて、開いた側の端に切れ込みが入り、胸や背中まで覆うもの。
b. 拘禁板-死刑囚が虚脱したさいに板を使用する。
c. 拘束具-死刑囚の手と腕が体の前と横に安全に固定されるのを確実にするために拘束具を使用する。
d. ロープ-ロープはマニラ麻で、直径は最低3/4インチ最高でも1と1/4インチを越えない、約30フィートの長さのもの。ロープは水に濡らされて、次に弾力、固さ、あるいはとぐろを巻く傾向をなくすために乾燥のあいだ引き延ばされる。結び目は、なめらかに滑る動きを確実にするために、油脂、石けんあるいは純粋なオイルで処理される。結び目は陸軍規則に従って結ばれる。

4. 死刑執行の過程

a. 任命された職員が死刑囚に拘束具を付ける。
b. 護送チームは死刑囚を死刑台まで護送する。死刑囚は所長の指定した位置に誘導されて立たされる。死刑囚に最後の言葉があれば、所長はそれを聞く。
c. 死刑囚はフードをかぶせられ、足が縛られる。拘禁板が必要な様子であれば護送チームが適切に装着する。
d. 死刑囚の首に密着させて輪縄をかける。結び目は左耳の真後ろに来るようにする。
e. 所長は踏板を開けるよう命ずる。
f. 護送チームは死亡した死刑囚を外すために下の階へ移動する。カーテンを閉じる。
g. 所長が適切と判断した時に、医師が呼ばれ死亡を宣告する。

Ⅹ. 死刑執行後の手続

A. 刑務所担当局長補は矯正局長と事故指令センターに死亡時刻を報告する。本部への電話が必要であれば、矯正局非常事態センターに行う。
B. 所長は指名した職員に死亡時刻を告知し、それからその職員が立会人に告知する。
C. 立会人は死亡宣告の後、死刑執行区域から速やかに出るよう案内される。
D. 報道機関の立会人はインフォメーションセンターに案内される。
E. 聖職者は死亡時刻を家族に対して公式に告知する。
F. 死体は事前に決められた経路を通って施設から搬出される。
G. 職員は死刑執行前、執行中および執行後において心的外傷後の専門家と聖職者に相談することができる。職員はカウンセリングと精神的援助の両方または一方を受けることができる。外部施設の信頼できるリストを受け取ることもできる。
H. 死刑執行後20日以内に、所長はこの指針の死刑執行前の手続に定義された記録を添えて死刑執行令状をそれを発行した事実審裁判所の事務官に返却する。

定義:

この指針に出てくる単語と用語は指針説明書の用語集の項で定義される。

付属文書:

死刑執行手続および任務割当のチェックリスト(付属文書1)
所長チェックリスト―単一薬物による死刑執行の手順(付属文書2)
所長チェックリスト―三薬物による死刑執行の手順(付属文書3)

記録形式:

DOC21-575外来者検査要件の承認

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英国の法医学者の論文(絞首刑ですぐに死亡するとは限らない)

資料21抜粋

以下で示す文章は、英国のカーディフ国立病院・ウェールズ法医学研究所のリック・ジェームズ医者ほか1名が、英国で1882年から1945年までに絞首刑に処せられた34遺体を発掘・調査した結果を踏まえて書いた論文の抜粋です。彼は絞首刑による死が「ほぼ瞬間的」であるとの通説に疑問を呈しています。

出典は「国際法科学 54巻(1992年)」の81~91頁。論文の題名は「絞首刑の刑死者における頸部骨折の頻度」です。

《引用開始》

絞首による処刑は、聖書の時代の初期以来ずっと実施されていて[1,2]、紀元449年ころに始まった侵入の結果として、アングル族・サクソン族・ジュート族によってイングランドに持ち込まれたが、実際はそれ以前から犯罪者を窮地に陥れていた[3]。斬首刑は時として揺れ動く貴族政治に用いられた。より多く用いられることもあったのは外国の釜ゆで刑、火あぶり刑、圧殺刑、溺死刑、絞首刑、四肢切断刑、四つ裂き刑であった。鎖で吊してさらし者にする刑は、犯罪を抑止する効果(もしくは見世物的な価値)をそのセレモニーに加えるために用いられた。それでも、絞首刑は1965年に殺人に対して死刑が廃止されるまで、何世紀ものあいだずっと英国の死刑執行人の主要な生活の糧であった。

絞首刑に関するその時代ごとの記述は、絞首刑の頻度、絞首刑に対する大衆の評価、および判決を執行する絞首刑執行人が用いる技術が、変化する方向を示している。絞首刑の始まりは、死刑に処せられる者がロープの端で‘ダンスして’緩徐に窒息していく処刑方法であったが、それ以来、完全な――‘きれいで瞬間的な’処刑を追求して、何世代にもわたる絞首刑執行人の努力とともに、より科学的な探求がなされてきた。落下する距離;縛り方;ロープの太さ;結び目の位置;これらの修正の全てが多様な、時には悲惨な結果を引き起こした。

公開で絞首刑が行われていた間は、瞬間的な死という主張はなかったが、1868年に公開処刑が廃止された後は、それ以来、個人の処刑に関しての記載がほとんど無いので死の迅速性を評価することは困難である。実際のところ、今世紀の初めから単に情報が発表されただけとなり、それは政府の指示により‘何事もなく死刑は執行され、ほぼ即死であった’との趣旨の短い声明であった。絞首刑でのどんな‘都合の悪い出来事’もその死刑執行に立ち会った者の1人が話をしようと思わなければ、世間の知るところとはならなかった。絞首刑執行人は死刑執行後の検死に立ち会うよう要求されることなく、これらはしばしば医学的な情報を収集することもなく手短に終わる業務であった。

例えばピエールポイントのようなその後の絞首刑執行人が刊行した回想録は、全例で瞬間的な死が起こったと主張しているが、問題にされてないわけではなく、ロングドロップ法の導入の後に‘きれいで瞬間的な死’という結果に終わらなかった絞首刑があったという根拠がある。

(中略)

ホートン教授は19世紀半ばに絞首刑の改良の運動の最前線に立ち、一連の提案の中で瞬間的な死を目的として、結び目を左耳か顎の下にするロングドロップの導入を求めた[12]。前者の方法がカルクラフトの後継者であるマーウッドに採用された。マーウッドは、その後継者のビンスがそうしたように、8フィート(訳注 2.44メートル)ほどの落下距離を用いる傾向があった。マーウッドは、紐穴のある真鍮の金具を付けたロープを採用した。その金具にロープの一端が固定され、もう一端がその穴を通って自由に動く輪縄を形作った。紐穴はゴム製のワッシャーで左の下顎角に固定された。本邦において絞首刑が廃止されるまで本質的に変わることなく維持された。この方法は、首の骨折もしくは脱臼による即死を起こすことを意図していた。1884年に絞首刑執行人となったベリーは、1885年にロバート・グッダルの不幸な頭部離断まで同じ落下距離を用いていたが、その後、改訂した落下表を作成した[13]。一般からの圧力で、死刑判決に関する審議会が設置され、死刑の執行方法について報告した。そのさいに強制的な過伸展によってより効果的であると主張して顎下の結び目を採用するようにとの強い請願があったにもかかわらず、同委員会は、新しい基準に基づく落下表――ベリーのものより短い――を作り、左の耳下の結び目を継続して使用するよう推奨した。一九一三年にフレデリック・ウッド=ジョーンズ医師が耳下の結び目は絞殺による死につながるとして、顎下の結び目を求める意見を述べた。彼は、植民地であるラングーン中央刑務所で行われた顎下の結び目を用いた一連の絞首刑は、全例で第2頸椎の椎弓根の両側において骨折を呈していた、つまり後弓が折れていたとするC.F.フラスター大尉の業績を引用して、顎下の結び目がより効果的であると主張した。このことは、顎下の結び目が使用されたならば、C2の骨折、脱臼、および脊髄損傷が同じ高さで起こると記述したヴァームーテンによって確認された[15]。しかしながら、顎下の結び目の使用は英国の植民地で大いに広まる一方で、本国では決して用いられなかった。この間、絞首刑執行人としての技は失われないように絞首刑執行人から絞首刑執行人へと伝えられた――ベリーはマーウッドから習った;ヘンリー・ピエールポイントは弟のトムを教え込んだ;トムはアルバート・ピエールポイントと後の絞首刑執行人でアルバート・ピエールポイントによる処刑で何度も助手を務めたスティーブ・ウエイドを教え込んだ。左の耳下の結び目と落下距離を含む死刑の執行方法はベリーの時代(1884年)から廃止まで変化がなかった。しかし、ベリーによるいくつかの処刑で、首の骨折、脱臼あるいは意識の消失も起こらず、‘強烈で不必要な苦痛が何分もの間’起こっているのを目撃したJ.J.ド・ズーシェ・マーシャルによると、ベリーは頭部離断や絞首の失敗を含む大失敗を少なくとも3回は経験していた[16]。多くの死の原因が剖検により窒息に帰せられ、個々の処刑での出来事、特に失敗したと伝えられる1923年のエデイス・トンプソンの処刑について多くの疑問が投げかけられた。そのような出来事に関わった絞首刑執行人は絞首刑の迅速さを賞揚された上に、‘軽微な事故’はあり得るものだとの言葉をかけられたが、こうして‘政府の幹部は絞首刑執行人の体面を保ってやった。そうしないわけにはいかなかったからである’[17]。これにもかかわらず、1949年に死刑に関する英国審議会の証言で、アルバート・ピエールポイントは全て瞬間的な死であったと主張したが、彼は、結び目を正しい位置に置き、落下距離を決めるのには多大な経験が必要で――数インチの問題があっという間の死とゆっくりとした絞殺の分かれ道であるとも述べた。もし、瞬間的な死を起こすのに失敗する場面を目撃したことがないのであれば、彼はどうやって落下距離の際どい性質を知ったのだろうと想像することは興味深い。さらに、常に成功を収めたというこの主張からすると、当時多くの刑死者の剖検を行った有名なバーナード・スピルスバーグ卿が、絞首刑を研究して、その効果や死の迅速性を高めるために落下距離の適正化をあえて示唆したことは驚くべきことである。

つまり、上記の期間(その後も何らかの改良が起こったと推定する理由はない)の絞首刑による死が、必ずしも迅速ではなく、もし当時の目撃証言を信ずるのであれば、時として長引いて残虐であったという信頼するに足る証拠があることは明らかだ。

(中略)

結論として、これまで述べたように、‘ハングマンズ・フラクチャー’は現在の英国の絞首刑では従来言われてきたよりも例外的であり、首の脱臼の結果として起こる脊髄損傷によって死が起こることがおそらく一番多いであろう。骨折の頻度は落下の距離や絞首刑執行人(全員が酷似した処刑方法を用いた)によって違いはなかった。しかしながら、死をもたらす方法としてロングドロップを用いた絞首刑は疑いなく効果的であるにもかかわらず、失敗なく迅速に効果が出るという点に関しては根強い議論があり、‘ほぼ瞬間的’であるというような広く流布している死の描写には疑問を投げかける。このことは重大な含蓄がある:ほとんどの共同体は意見の一致を見るであろうが、いかなる死刑執行の方法もその内実において迅速かつ苦痛なしであるべきであり、したがってどんな方法の死刑であっても、その迅速性が、それを用いることが受け入れられるか否かに関しての中心的な論点である。万一、死刑を再導入する政府があるならば、絞首刑を適切な方法として採用することには真剣に疑問が呈されなければならない。

《引用終了》

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英国議会への報告書

資料5改変

英国では死刑制度について議会に何回も報告書が出され、死刑制度について議論がなされてきました。英国は1969年に通常殺人に対する死刑を廃止し ています。以下は1953年の9月に提出された「ROYAL COMMISION ON CAPITAL PUNISHMENT 1949-1953 REPORT」からの抜粋です。

死刑に関する英国議会 1949-1953 報告書

女王陛下の命令により議会に提出する
1953年9月

ロンドン 英国政府印刷局

703の項 下線部の訳

《抄訳開始》
他にも不幸な出来事があった。落下距離が短すぎた者はゆっくりと窒息して死に、落下距離が長すぎた者は頭部が切断された。
《抄訳終了》

原文はこちら (「ROYAL COMMISION ON CAPITAL PUNISHMENT 1949-1953 REPORT (抜粋)」)

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2009年の世界における死刑執行件数と執行方法

資料18

死刑判決と死刑執行 2009年(Index ACT 50/001/2010)

アムネスティ・インターナショナル出版 2010年3月

《6頁 本文6~13行の訳》

判明した2009年の死刑執行

バングラディシュ(3)、ボツワナ(1)、中国(+)、エジプト(少なくとも5人)、イラン(少なくとも388人)、イラク(少なくとも120人)、日本(7人)、リビア(少なくとも4人)、マレーシア(+)、北朝鮮(+)、サウジアラビア(少なくとも69人)、シンガポール(1人)、スーダン(少なくとも9人)、シリア(少なくとも8人)、タイ(2)、米国(52)、ベトナム(少なくとも9人)、イエメン(少なくとも30人)

2009年に用いられた死刑執行の方法は、絞首刑(バングラディシュ、ボツワナ、エジプト、イラン、イラク、日本、北朝鮮、マレーシア、シンガポール、スーダン、シリア)、銃殺刑(中国、リビア、シリア、ベトナム、イエメン)、斬首刑(サウジアラビア)、石打ち刑(イラン)、電気殺刑(米国)、及び致死薬物注射(中国、タイ、米国)を含んでいた。

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