Home > 裁判資料

裁判資料 Archive

刑場見学さえ困難(日弁連の資料から)

資料8抜粋

日本の死刑の執行は全く公開されていないだけでなく、死刑の執行とは無関係の時に刑場を見ることさえ困難です。日本弁護士連合会第47回人権擁護大会シンポジウム第3分科会実行委員会が発行した「21世紀日本に死刑は必要か-死刑執行停止法の制度と死刑制度の未来をめぐって-2004年10月7日 於・ワールドコンベンションセンターサミット(宮崎市) 基調報告書」の148頁には以下のような記述があります。

《引用開始》

第5 弁護士会の試み

1 刑場視察の申し入れ

日弁連は、2003年8月27日、法務大臣に対し、死刑場視察の申入れをし、日弁連による東京拘置所内の視察を許可するよう求めるとともに、全国の弁護士会から各地拘置所内の死刑場の視察の要求があったときはこれを許可するよう善処を申し入れた。これを受け、2003年から2004年にかけて、複数の弁護士会及び弁護士会連合会から、法務大臣、拘置所長ないし拘置支所長に対し、死刑場視察の申入れがなされ、所属弁護士に対し拘置所内の死刑場の視察を許可するよう求めた。これらの申入れは、国民が、死刑の存廃を含む死刑制度のあり方を検討し、執行が適正な手続で行われているか検証するため、また、弁護士が、弁護士法第1条に基づき法律制度たる現行死刑制度の改善に努力すべき義務を果たすため、最も基礎的な情報である死刑場の施設等について視察することが必要不可欠であること等を理由とするものであった。

ところが、法務省矯正局長及び各拘置所長は、「申入れのあった死刑場視察の件については、応じかねますので、あしからずご了承願います。」などとして、すべての申入れを拒否した。

法務当局は、刑務所や拘置所の施設中、刑場のみは特別の場所であって、公開についても特別に扱うとの考えであることがうかがわれるが*1、その法的根拠は疑わしい。

*1 たとえば、1997年5月13日、死刑廃止を推進する議員連盟の8人の国会議員が松浦功法務大臣に申入れをした際、あわせて刑場視察についても申入れたが、立ち会った刑事局長は、見られて困るというわけではなく、また、国政調査権による調査の申入れということであれば検討しなければならないが、伝統的に刑場視察は拒否している、拘置所建替え問題に関連して、現在の東京拘置所の庁舎を是非視察していただきたいが、刑場は別問題である旨述べたという。

《引用終了》

  • コメント (Close): 0
  • トラックバック (Close): 0

オーストリアの法医学者の論文

資料6抜粋

オーストリアのインスブルック医科大学法医学研究所に所属するヴァルテル・ラブル(Walter Rabl)医学博士らが執筆した「Erhängen mit Decapitation Kasuistik-Biomechanik」(頭部離断を伴った縊死 事例報告、生体工学)という論文(犯罪学雑誌 195巻〈Archiv für Kriminologie 195.Band〉1995年 31~37頁)によれば、飛び降りを伴う首つり自殺や絞首刑で首が切断(頭部離断)される例があります。首つり自殺で首が切れる例はまれですが、自殺かそれとも他殺かを判断しなければなりません。法医学的には研究の余地がある現象なのです。ラブル博士は、絞首刑や首つり自殺では、首に一定以上の力がかかると首が切断されてしまうと述べています。首にかかる力は、その人の体重とその人がどれくらい落下したかなどによって決まります。体重が重いほど長い距離を落下するほど首にかかる力は大きくなります。同博士の調査によると体重80kgの人が首つり自殺で2.4m落下して、首が切断された例をあげています。

以下はこの論文(ドイツ語)の一部を訳したものです。この資料の引用はお断りします。

《引用開始》

頸部器官断裂や脊椎の損傷は、縊頸自殺では稀である。頭部離断に至っては極めて珍しい。比較的旧い文献には、絞首刑時の頭部離断に関する事例が言及されている(キンケード 1885、ザテルヌス他 1978(より広い文献を紹介している)、レイ他 1994)。それに加えて絞首刑に関するいくつかの文献の中に頸部の皮膚が筒状に残存している状態で、しかも頸部器官が離断されている所見の報告が見られる。それについて「内的な頭部離断」とも呼ぶことができる。

…(中略)…

頭部を完全に離断させる負荷値を確認するための実験を行ったところ、値は12000ニュートン程度の大きさであった。これらの値は頸部が生体工学的に耐えうる上限値と見なすことができる。この値の負荷がかかることで、どのような落下であれ、索条物の幅とは無関係に長軸方向に作用する牽引力のみで、頭部離断が起こる。

表1

文献上見られる縊頸による完全もしくは不完全頭部離断の要約

報告者 索条物 体重/紐の長さ 頭部離断
ホルスサベック

1947

牛皮の紐/13mm 85kg/3m 不完全
ヴァイマンとプロコップ 1963 鋼索/5mm 不明/不明 完全
ヨーアヒムとフリードリッヒ 1977 ペルロン/7mm 不明/2.5m 不完全
パンクラツ他

1986

合成物質の紐/10mm 76kg/3.5m 完全
ノヴァクとハイゼ

1990

ペルロン/12mm 不明/4m 不完全
ウルバン他 1990 鋼索/不明 78kg/5m 完全
ポラクとズテルヴァグ=カリオン 1991 合成物質の紐/10mm 80kg/2.4m 完全
ポラクとズテルヴァグ=カリオン 1991 平らな紐/15mm 63kg/10m 完全
ヴァイゲル他

1994

牽引ロープ/20mm 73kg/3.8m 不完全
ラブル他 1994 合成物質の紐/12mm 90kg/3.8m 完全

《引用終了》

  • コメント (Close): 0
  • トラックバック (Close): 0

絞首刑の事故:サダム・フセイン元イラク大統領の異父弟(その2) 首の切断

資料4抜粋

2007年1月15日にイラクのバグダッドでサダム・フセイン氏の異父弟バルザン・イブラヒム・アル=ティクリティ(Barzan Ibrahim al-Tikriti)氏が絞首刑を執行された時に、落下と同時に首が切断されて、頭と胴体が分離して落下しました。イラク政府は、国の内外からの批判を恐れて、この出来事が故意に行われたものではないことを示す必要に迫られました。そこでイラク政府はこの死刑執行の様子を記録したビデオテープをマスコミに限定して公開しました。結果としてこの事例は世界中に広く報道され知られることになったのです。

2007年1月16日付ニューヨークタイムズは「2回目の絞首刑でもまた失敗。 イラクの録画が示す 2人のうちの1人の首が切断された フセイン異父弟の死刑台の計算ミスがぞっとするような結果に」との見出しで報じています。

以下はこの記事(英語)の一部を訳したものです。この資料の引用はお断りします。

《引用開始》

絞首刑の後13時間以上たってから、小人数のイラク人と欧米のレポーターに対して放映された公式のビデオでは、サダム・フセインの元国家情報局長官だったバルザン・イブラヒム・アル=ティクリティが、キューバのグァンタナモ湾にある米国の収容所で使用されているのと同じ炎のようなオレンジ色のつなぎを着て、踏板の上に不安げな様子で立っているのが見えた。彼の頭と口ひげは剃られていた。彼の脇には、もう1人の死刑判決を下された男である元フセイン革命裁判所長、アワド・ハミド・アル=バンダルが同じような出で立ちで熱心に祈りながら立っていた。

肩より上をすっぽりと覆う帽子を身につけた死刑執行人たちが、2人の男性の頭の上に黒いフードをかぶせたあと、彼らの首に輪縄をかけて、踏板を開くレバーを引いた。2人は重りのように落下した。

・・・(中略)・・・

ビデオは、ロープがぴんと張った時に彼の頭がもげて、最後にはフードの中に入ったまま絞首刑台の穴の中で頭の無い彼の遺体からおよそ5フィートのところに転がっている場面を映し出した。

イブラヒム氏の上方で、バンダル氏がロープからぶら下がっているのを見ることができた。イブラヒム氏の体は、暗くじめじめした穴の底で血だまりの上にうつぶせになっていて、切断された彼の首がそばにあった。音声の入ってない3分間のビデオがそこで突然終わった。その際に当局者はこのビデオについて一度だけ上映し二度と公開して見せることはないだろうと言った。

・・・(中略)・・・

処刑に関わった関係者の他の者は、よりあっけにとられたようだった。「踏板が開いた時、私はロープが何もぶら下がってない状態でゆれているのを見ている自分に気づきました。そして自問しました。バルザンはどこへいったんだろう?」と述べるのは、フセイン氏とイブラヒム氏とバンダル氏に対する死刑宣告で終わった裁判の主任検察官であったジャハ・アル=ムサウィ氏であった。彼は付け加えた。「私は彼はどのようにかして輪縄を抜けたのだろうと思いました。それでその穴の方へ移動して下を見ました。そして、床に横たわっている頭のないバルザン死刑囚を見ました」

《引用終了》

  • コメント (Close): 0
  • トラックバック (Close): 0

絞首刑の事故:サダム・フセイン元イラク大統領の異父弟(その1) 首の切断

資料3抜粋

2007年1月15日にイラクのバグダッドでサダム・フセイン氏の異父弟バルザン・イブラヒム・アル=ティクリティ(Barzan Ibrahim al-Tikriti)が絞首刑を執行された時に、落下と同時に首が切断されて、頭と胴体が分離して落下しました。イラク政府は、国の内外からの批判を恐れて、この出来事が故意に行われたものではないことを示す必要に迫られました。そこでイラク政府はこの死刑執行の様子を記録したビデオテープをマスコミに限定して公開しました。結果としてこの事例は世界中に広く報道され知られることになったのです。

2007年1月16日にCNNのインターネットサイト上で公開された動画(http://edition.cnn.com/2007/WORLD/meast/01/15/iraq.executions/index.html 2009年10月現在、閲覧できない)の中で、ニューヨークタイムズのジョン・バーンズ記者がバグダッドから報告しています。バーンズ記者はイラク政府から上記のビデオを見せられた一人です。

以下はこの動画の音声(英語)の一部を訳したものです。この資料の引用はお断りします。

《引用開始》

ジョン・バーンズ記者:

まず最初に、このビデオテープは、1回だけ上映すると言われました。携帯用カメラで撮影したサダム・フセインの絞首刑の模様が流出した騒ぎの後、イラク政府は、この失敗した絞首刑が、インターネットに流出して、特に中東全域で、何度も再生されることがないよう固く決心しました。

3分間のビデオは、・・・残酷で・・・、どの死刑執行でもそうでしょうが・・・おびえた2人・・・ひどくおびえた2人が、グァンタナモ収容所のスタイルのオレンジ色のつなぎを着て、踏板の近くに立っていました。黒いフードを頭にかぶせられて・・・2人は・・・ムファムジハーダ(訳注:明確に聞き取れず意味不明)・・・死を前にした祈り・・・唯一の神の他に神はなし・・・を唱えていました。そして、落ちました。

フセイン氏の下で秘密警察の長官であり、その異父弟でもあるバルザン・イブラヒム・アル=ティクリティ氏は、決められた通りに8フィート・・・それだけ落下した時・・・彼の頭はあっという間にちぎれてしまいました。・・・カメラはそれから・・・前に進んで絞首台の下の穴の中をのぞき込みます・・・そこで彼がうつぶせになっていたのですが・・・頭がなくて・・・首のあたりに血だまり、彼の頭は黒いフードの中にあるままで、彼の後ろの・・・穴の中にありました。・・・何が起きたかというと、イラクの役人が、今回は一生懸命に努力して、上手くいっていたのですが、落下表と絞首刑執行人が呼ぶ箇所で失敗したようでした。この中肉中背の男性は落とされた距離が長すぎて落下速度が大きくなりすぎたのです。

《引用終了》

  • コメント (Close): 0
  • トラックバック (Close): 0

絞首刑の事故:R.J.キンケード医師の論文(英国) 首の切断

資料16抜粋

R.J.キンケード(R.J.Kinkead)医師は、ゴールウェイ(Galway)の国立大学(Queen’s Collage)で法医学講師を務めましたが、ダブリンの国立刑務所の医師として勤務したこともありました。彼の在任中、10人の死刑執行があり、彼はそのうちの6人に医師として立ち会いました。また首吊り自殺で死亡した遺体を3人見ました。彼はその経験をランセットの1885年4月11日号(The Lancet April 11, 1885)の657~658頁に執筆しています。マーウッド(Marwood)氏は、当時の英国で有名な絞首刑執行人です。

以下はこの論文「9例の縊死(6例の死刑執行と3例の自殺)に関する所感」(Remarks on death by hanging <six executions and three suicides>)(英語)の一部を訳したものです。

《引用開始》

(冒頭部分省略)1880年1月から10名の男性が死刑を執行され、3名はゴールウェイの国立刑務所で首吊り自殺を遂げている。私はこれらの男性のうち6名の死刑執行に立会い、発見後数分以内の自殺した死体を見た。

マーウッドはそのうち8人の死刑執行で絞首刑執行人を務め、彼はその義務を迅速に遂行して死は瞬時に起こっていたが、それにもかかわらず、準備の開始からボルトが引かれるまで、その犯罪者にとってはひどく長く思われたに違いないように私には思えた。

私の観察は、1人の死刑執行人が同時に複数の絞首刑を試みるべきではないと私に確信させた。なぜなら、事故が起こるかもしれないし――実際1例で起こったが――そしてそれによって犯罪者の死が長引かされるだけではなく、他の者の準備ができるまで落下を待っている哀れな犯罪者の精神的緊張と苦悩は悲惨なものであるに違いないからである。

耐えながら観察している私にとっては、時間は果てしなく思えた。その仕事は迅速に行われ、1分もしくは2分以上はかかっていないのだけれども。死のまぎわにあるその不幸な生き物にとって、それはいかなるものであったであろうか!

これは、その過程を記述すれば完全に理解されるだろう。

囚人の両腕が、その死刑囚の独房で縛られる。ベルトが腰の辺りでバックルで締められる;このベルトには紐が2本ついていて、ベルトが適切な位置に置かれたとき、2本の紐は腸骨の上前棘の前上方のおよそ1~2インチ(訳注:2.5~5.1センチ)のところについている。両腕は、これらの紐によってベルトの脇で固定される。したがって指を体の前で組むことは難しく、肘はやや後方に突き出る。きつく縛られた状態で囚人は処刑台まで歩かされ、落下板の上に据えられる。そこは斜めの支柱に取り付けられたリングのすぐ下で、リングにはロープがつながっている。それから両脚が膝関節と足関節の間の位置で紐を用いて一緒に固定される。次に輪縄が首の周囲に置かれ、喉の周りにしっかりと引き寄せられ、ワッシャーもしくはリングによって位置を固定される。それから、白いキャップがかぶせられ、後ろに下がった死刑執行人がボルトを引く。

さて、どれだけ死刑執行人が器用で練習を重ねたとしても、両脚を縛り、ロープを調整し、キャップをかぶせるのに時間を要することは明らかである。そして、もし、同じことが他の1人もしくは2人に対して行われている間、囚人が立ったままで残されているとしたら、彼の苦悩は大変悲惨なものにちがいない。その苦悩を誰も実際に想像できないと私は思うのだが、1例において、単独の死刑執行で大変迅速に行われたにもかかわらず、その男は気絶し、ボルトが引かれたとき実際に横へと倒れつつあったのだ。

マーウッドは、死刑執行で長い落下を用いて結び目を顎の下に置いた。ロープは斜めの支柱のリングから囚人の背中の後ろに垂れ下がり、そして腰の下から顎の下につながるまでループになっていた。したがって、落下距離は囚人の背丈のよりいくらか多かったということが分かるだろう。このやり方は、もし囚人が精神的に安定している場合はうまく機能した;しかしもし不安定な場合、実際に一度起こったような危険性が生じた――体が落下した時、囚人の肘にループ状になったロープがひっかかって、その結果死が瞬時に起こることを妨げるという危険である。

私が絞首刑に立会った最初の男は、1880年1月に死刑を執行された。彼は背が高く力に満ち溢れた体格の人物で、偉大な勇気をもって自らの死に臨んだ。死刑の執行から一時間半後、解剖学の教授であるピー医師が助手を務めて私が検死を行った。

便失禁はなかったが、精液の放出があった。頸部の解剖で、我々はその組織のほとんどが完全に断裂していることを見出した。第三頸椎の椎体は対角線上を横断して骨折し、残存部から少なくとも2.5~3インチ(訳注:6.4~7.4センチ)ほど分離され、脊椎は完全に断裂し、そして実際のところ、頭部は、剥離さえしていない皮膚、いくつかの筋肉の断片、および右側の血管でのみ、体幹との連続性が保持されていた。気管と食道、左側の頸動脈と頸静脈は断裂しており、組織は気腫状態であった。胸郭を開くと、肺では特に異常な所見はなかった。肺は軽度にうっ血していたが、特に顕著というほどではなかった。左心は内容物が無く堅く収縮していた。しかし、右の心房と心室の両方が泡沫状の血液で充満していた。断裂された気管から漏れた空気が頸静脈を介して下方に吸引されたことは明らかである。

私が立会った次の死刑執行は、1883年1月に行われたものだった。囚人は、何とか絞首台までは歩いていったが、絞首台の上で気絶したようだった。ボルトが引かれたまさにその時、彼は左向きになって横に倒れた。ロープのループは彼の膝の位置より下にあったので、落下が長すぎたのは明らかである。

首の右側で皮膚のおよそ1.25~2インチ(訳注:3.2~5.1センチ)を残して全ての組織が完全に離断されていたので、死因となる損傷を大雑把に確認するだけで検死の必要はなかった。事実、皮膚のその小部分がなければ、彼は完全に頭部を離断されていたであろう。この結果は、過剰に長い落下、細い首、そしてその男性の気絶によって回転運動が生じ、その結果、体の落下による牽引力が首の長軸の方向に作用せず、側方に部分的に働いたことに起因すると私は考える。

その次の2名の男性は2日後に死刑を執行された。検死官は検死が必要であるとは考えなかったが、体表から検査した結果、それぞれの事例で脊椎骨が分離されたことは疑いないと私は考える。初めのケースでは、第三頸椎の椎体の真の骨折、2番目のケースでは第二頸椎と第三頸椎の間で分離が起こったと記録した。そして私が最後の2例で判断しうる限りでは、脱臼はおおよそ同じ場所であった。それぞれの頸椎の椎体の端は少なくとも2.5~3インチ(訳注:6.4~7.4センチ)は分離していることが明確に触知できた。

もし記憶を正確に喚起できているならば、ダブリンの死刑執行で見られた所見は、全例において脊椎骨がそれぞれ牽引分離され、脊髄が切断した結果であった。私がゴールウェイを離れていた時に起こった4例では検死は行われなかったが、私の義務を放免した紳士たちは、3例で骨の分離に関して疑いがなかったと私に告げてきた。4番目の事例では、ロープが肘の下でひっかかった事例で、{しいん}審問における医者の証言は、首の脱臼もしくは骨折はなく、死因は窒息死によるというものだった。

《引用終了》

  • コメント (Close): 0
  • トラックバック (Close): 0

絞首刑の事故:メージャー・リゼンバー氏(米国) 首の切断

資料1抜粋

クリントン・T・ダフィー(Clinton T.Duffy)氏は、1940年から1952年までの間、サン・クエンティン刑務所の所長を務めました。彼は1942年5月1日のロバート・ジェームズことメージャー・リゼンバー(Major Lisemba)氏の絞首刑を所長として執行しました。

ダフィー氏はその模様を「死刑囚 88人の男と2人の女の最期に立ち会って」という手記(柴野方彦訳 サンケイ出版 1978年)に書いています。その中で同氏は死刑執行の状況には直接触れず、その様子を、自らが記者に語った言葉の中で示しています。同氏は死刑を執行する現場の責任者だっただけにその言葉には重いものがあります。

以下に同書籍の該当箇所(14頁下段1行~15頁上段8行)を抜粋して引用します。この資料の引用はお断りします。

《引用開始》

すべてが終わったあとで、私は、一生のうちで最もけがらわしい罪を犯したような気持ちで、事務所へ戻った。死刑執行書類に署名してから、知事室へ必要事項を報告した。それから、絞首刑の話をするなど思ってもいやだったが、とにかく、報道記者たちに会う決心をした。エグザミナ紙の記者が指摘したとおり、異常な立場ではあったが、私がどう思っているかを記者たちに告げる義務があると思ったからだ。

「この死刑に関するあなたの感想を発表してください」

一人の記者が聞いた。

「わたしは、カリフォルニア中の人が、みな処刑の光景を見たらよかったと思う。リゼンバーの顔から、ロープのために肉がもぎ取られ、半ばちぎれた首や、飛び出した眼や、垂れ下がった舌を、みんなが見たらよかったと思う。宙ぶらりんに揺れ動く彼の脚を見たり、彼の小便や脱糞や、汗や固まった血の臭いを、みんなが嗅いだらよかったと思う」

だれかがあえぎ、一人の記者がつぶやいた。

「所長、そんなことは活字に出来ませんよ」

「出来ないのは分かっている。しかし出来たら、みんなのためになる。州民たちに、彼らの指令がいかに遂行されたか正確に知るのに役立つ。かつて死刑に票を投じた陪審員全部、かつて宣告を下した裁判官全部、私たち皆に、この苦しい試練を通り抜けることを余儀なくさせる法律の通過を助けた立法者全部は、今日、わたしと一緒にいるべきだった」

私は、前にいる蒼白な顔の円陣をぐるりと見回した。さらに、前へ乗り出して言った。

「諸君、これがわたしの感想だ。これはわたしの生涯で最も恐ろしい経験であったし、二度と繰り返さないようにと神に祈るだけだ。あとは何も言うことはない」

《引用終了》

  • コメント (Close): 0
  • トラックバック (Close): 0

絞首刑の事故:アーサー・ルーカス氏(カナダ)など 首の切断

資料2抜粋

カナダの絞首刑で死刑囚の首が切断された例について、2007年にDundurn Pressから出版されたロバート・J・ホショウスキー(Robert J.Hoshowsky)氏著書「THE LAST TO DIE Ronald Turpin, Artur Lucas, and the end of capitalpunishment in Canada」(最後の死者 ロナルド・ターピン、アーサー・ルーカス、そしてカナダの死刑廃止)が描写しています。

カナダは、英国と同様に、かつて絞首刑を採用していました(両国とも1960年代に殺人に対する死刑を廃止し、以後、死刑は行われていません)。著者はカナダの絞首刑で首が切断された例を2つあげています。1つは、1935年のトマシーナ・サラオという女性の例。もう1つは、以下に引用するアーサー・ルーカス氏の例です。引用の中で、シリル・エヴァリット(Cyril Everitt)氏は刑務所の教誨師です。アーサー・エリス(Artur Ellis)は絞首刑執行人が使用していた変名です。1962年12月11日にトロントのドン刑務所で、ルーカス氏はロナルド・ターピン氏と同時に絞首刑を執行されました。この絞首刑が結果的にカナダ最後の絞首刑になりました。

以下はこの書籍(英語)の一部を訳したものです。この資料の引用はお断りします。

《引用開始》

(179頁22行目から180頁17行目までの抄訳)

絞首台の上には2つの輪になった縄が宙にぶら下がり、スポットライトの飾り気のない黄色い光にありのままを照らし出されて、ほとんどこの世のものではないように見えた。絞首刑執行人のアーサー・エリスは覆面をせずに普通の服で彼らを待っていた。94

間もなく2人は絞首台の階段を上がった。よく用いられる13階段の死刑台とは違って、ドン刑務所の絞首台は下の階へと落ちるようになっているため、ほんの少し高くなっているだけだった。午前12時1分に2人は足を縛られて壇のチョークで印が付いた所に背中と背中を向けて立つように言われた。

「何か言いたいことがあるか」と絞首刑執行人が聞いた。

「ない」というのが2人の答えだった。それからエヴァリットは、自分が過去10カ月以上にわたって助けてきた2人に対して、別れのあいさつを告げた。

「天国で会おう」教誨師は2人の頭に黒いフードがさっとかけられた時に言った。絞首刑執行人がフードで覆われた2人の頭と首にロープをかけたときに、ルーカスは静かにすすり泣いて、エヴァリットは詩篇23を朗読し始めた。

…(中略)…

絞首刑執行人が仕掛けをばねで動かして彼らが死に向かって落下していくと同時に、処刑台の床が、部屋中に反響する耳をつんざくばかりのすさまじい音を出して、彼らの足の下に落ちた。絞首刑に立ち会った者は誰もその夜にあった事を長年にわたって明らかにしなかった。当時の新聞は何もかも書いたわけではなかった。

「絞首刑は不手際だった。ターピンはきれいに死んだが、ルーカスの頭はすぐに引きちぎられてしまった。ルーカスの頭は首の腱だけでぶら下がっていた。床中に血が広がっていた。絞首刑執行人がルーカスの体重の計算を間違えたんだ。何という死に方だろう」95エヴァリットは何年も後、彼が亡くなる直前に発表されたインタビューの中で述べた。

(181頁10行目から15行目までの訳)

「誰もが、血しぶき、文字通り水道管が破裂したような恐ろしい出血にあっけにとられていた。壁には血が吹きつけられていた。」その寒々とした12月の夜にターピンとルーカス2人の絞首刑に立ち会ったトロント警察の殺人課の刑事ジム・クローフォードは述べる。クローフォードは2人の事件に関わっていた。

《引用終了》

  • コメント (Close): 0
  • トラックバック (Close): 0

上告趣意書要約

上告趣意書 第1点要約

現在、絞首刑は、首にロープをかけて死刑を執行される者(以下「受刑者」)を落下させ、空中に吊り下げる方式で行われることがほとんどです。わが国も明治6年以来、この方法を採用しています。ところが、この方式の絞首刑では、落下直後に受刑者の首が切断されたり、またはそれに近い状態まで切断される例が世界各国で報告されています。

それらの一部は、1942年米国カリフォルニア州や1962年カナダ・トロントの例のように書籍になっています。英国では1953年に提出された議会への報告書の中で取り上げられました。最近でも、2007年1月15日にイラク・バクダッドで処刑されたサダム・フセインの異父弟バルザン・イブラヒム・アル=ティクリティ氏の例があり、首がちぎれて血だまりができた様子を撮ったビデオが一部の報道関係者に公開されました。

通常、絞首刑では、ロープが伸び切った瞬間に受刑者の首を上下に引っ張る力がかかります。体重が重く落下距離が長いほど、受刑者の首にかかる力は大きくなります。この力が弱ければすぐに死亡することはなく、受刑者は数分もしくはそれ以上の時間をかけて窒息死することになります。逆に、首への衝撃がある程度強ければ、頸椎の骨折、脊髄の切断、及び首の動脈の損傷などが原因で短時間のうちに意識を失って死亡することになります。受刑者を落下させる目的はここにあります。この首にかかる力が、首全体が耐えうる限界を超えた場合に、引きちぎられて首の切断が起きるのです。(法医学者の研究によると、どのくらいの力が加わると首が切断されるかまで判明しています。)

このため、絞首刑を採用している国・軍隊では、執行方法を調整して首の切断を防止しようと努めてきています。その一例として、絞首刑を採用していた当時の英国や米陸軍では、首にかかる力を制限するために、受刑者の体重に応じた落下距離を定めて、落下表(drop table)を作成していました。英国は死刑そのものを廃止し米陸軍も今では絞首刑を採用していませんが、この落下表は現在でも絞首刑を採用している国などで採用されています。

一方、わが国の絞首刑では受刑者の首の切断を防止するための法律は存在しません。同趣旨の通達や命令の存在も明らかになっていません。落下表の使用はおろか存在すらも不明です。切断を防止する目的の規定を持った国でも起こっているのですから、そのような規定を持たないわが国の絞首刑でも受刑者の首の切断は起こり得ると言えます。

首が切断される可能性のあるわが国の死刑は憲法36条(残虐な刑罰の禁止)に違反します。

また、憲法31条は、法律の定める手続によらなければ生命を奪われないこと(適正手続の保証)を定めています。まず首が切断されるような死刑は刑法11条の定める「絞首」ではありません。つまり、法律の定めていない執行方法を用いた死刑です。次に首が切断されれば、法律の定める「絞首」ではありませんから、それを防ぐための規定は(それが本当に首の切断を防ぐことができるかどうかは別の話ですが)、死刑の執行方法の種類を特定するために法律に明記されるべき内容(法律事項)です。ところが、わが国の法律には規定されていません。最後に最高裁の判例によって現在も有効であるとされている明治6年太政官布告65号は受刑者を「地ヲ離ル凡一尺」まで落下させるように定めています。現在の刑事施設は刑場の床が開いて受刑者が落下する構造になっています。例えば東京拘置所では刑場の床から下の階の床まで約4mあるとされていますから受刑者は約3.7m落下することになります。前述のティクリティ氏(体重80㎏足らず)の例などでは、2.4m程度の落下で首の切断が起こることからすると、わが国の死刑に関する規定をそのまま実行すると絞首刑のさいに受刑者の首が切断されてしまいかねません。つまり定められた手続の中に適正でない内容があります。以上3つの点からわが国の死刑は憲法31条に違反します。

  • コメント (Close): 0
  • トラックバック (Close): 0

ホーム > 裁判資料

Return to page top